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浦沢直樹 |
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15分 |
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86 |
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そして私は、海から一匹の野獣がやってくるのを見た。それは、10の角と7つの頭を持ち、 それぞれの角には冠が、それぞれの頭には神を侮蔑する名前があった。(中略) 竜がその権力を野獣に与えたため、すべての人々は竜を崇拝した。 人々はその野獣をも崇拝し、そして言った。 「誰がこの野獣のようになれるのか。誰が野獣に逆らって戦うことができるのか。」 <ヨハネの黙示録 第十三章1-4>
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見事でしたね。 あんな難しい部位の脳動脈瘤をあの速さでクリッピングするなんて!! |
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素晴らしいオペだったよヘルDr.テンマ。 ケンゾー・テンマは天才だということを改めて確認したよ。 脳神経外科と救急外科、両方かけもちで疲れきっているところを、よく頑張ってくれた! |
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いえ、皆さんのおかげです。 ダンケシェーン、ありがとうございます。 |
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医師らと握手を交わそうとテンマが進み出たその時、窓枠に鋭い陽光が入る。 その光は、薄暗いオペ室に慣れたテンマの目をさした。 |
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もうこんなに日が高くなっていたのか・・・・・・ |
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ああ、なんたって真夜中から6時間ぶっ続けのオペだったもんな。 今日は外来もないし、ゆっくり休め。 |
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はい |
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徹夜での手術の疲れを隠しきれず、廊下をフラフラと歩くテンマ。 と、そこでトルコ人らしき女性が声を押し殺して泣いているのを見かける。子供も一緒だ。 |
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あ・・・・・・そういえば、同じ頃もう一件、トルコ人の労働者がかつぎこまれたね。 |
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ええ・・・・・・、Dr.ベッカーが執刀されました。 |
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結果は? |
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(黙って首を振る) |
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・・・・・・そう。 残念だったね・・・・・・ |
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1986年、ドイツ、デュッセルドルフ。 市内のアパートの一室にテンマの部屋はある。 |
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こら、起きろ!・・・・・・起きなさいDr.天馬! 役柄が逆でしょ。 キスで目覚めるのは、あたしみたいなお姫様のはずよ。 |
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ん・・・・・・あ、来てたのか、エヴァ・・・・・・ |
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自分を起こす声に目を覚ますと、そこにはテンマの婚約者であるエヴァ・ハイネマンの姿があった。 テンマが務めるアイスラー記念病院。そこの院長も名をハイネマンという。 すなわち、テンマは院長の娘と婚約を結んでいるのである。 |
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デートの約束忘れてたでしょ、賢三。 |
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あ・・・・・・いや・・・・・・忘れてないよ。 |
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先日、東ドイツから西(こちら)側に亡命した東ドイツ貿易局顧問のリーベルト氏が、 昨夜、妻子を伴ってマスコミの前に姿を現しました。 リーベルト夫妻は疲れた様子もなく、二卵性双生児の娘さん息子さんとともに明るい表情を見せていました。 一家は当分の間、デュッセルドルフに滞在し・・・ |
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う―――ん、寝た気がしない・・・・・・・・・・・・ZZZzzz... |
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こぉらぁ、ダメよ、起きて!!あなたのニュースよ!! ほら、テレビ見て! |
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テンマはエヴァに無理やりに起こされ、寝ボケまなこをテレビにやる。 ニュースの内容といえば、昨夜。いや、今朝方に手術を終えた患者のものだった。 テンマも良く知る男が、フラッシュがたかれる会見場でたくさんの記者を前に得意げな表情を浮かべている。 |
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昨夜、クモ膜下出血で倒れ重体が伝えられたオペラ歌手のローゼンバッハさんですが、術後の容体は順調のようです。 それでは、手術にあたったデュッセルドルフ・アイスラー記念病院のハイネマン院長による記者会見の映像です。 |
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ローゼンバッハさんの診断名は破裂脳動脈瘤クモ膜下出血です。手術自体は予定通り、クリッピングもうまくいきました。 問題は、今後予想される脳浮腫、脳血管攣縮(れんしゅく)による脳虚血、二次性水頭症ですが、これらの予防は万全の態勢でおこなうつもりです。 彼の歌声をよみがえらせるために全力を尽くします! |
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これまでも数多くの困難な手術を成功させてきたハイネマン医師のチームは、 今回の手術で、またわが国の医療界での地位をゆるぎないものにしたと言えるでしょう。 |
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・・・これは僕のニュースじゃなく、君のパパのニュースだよ。 |
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それはそうだけど。あなたが昨夜父のチームの一員として完璧な手術をしてくれたからよ。 きっと父も感謝しているわ。病院の名声をあげてくれたのはあなたなんですもの。 |
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感謝するのは僕のほうだよ。 日本人の僕が今こうしてこのドイツでやっていけるのも、君のお父さんのおかげだからね。 |
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この調子で頑張るのよ、ケンゾー。父についてゆけば絶対に大丈夫。 父が理事長になるのも時間の問題なんだし・・・・・・そうしたらあなたもすぐに外科部長、ゆくゆくは院長に・・・・・・、 そしたら私は院長夫人! 幸せにしてよ。 あたしに苦労は似合わないんだから。 |
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そう言って、エヴァは寝ているテンマの上に乗りかかりキスをする。 |
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あ、そうそう。あなたの論文、父がとっても感心してたわ。 父の名で学会で発表したら、かなりの反響は間違いないって。 |
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・・・・・・。 |
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父のために書いた・・・・・・そうでしょ? |
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あ・・・ああ・・・・・・。 あの論文は君のお父さんの依頼で書いたんだ。使ってもらえてうれしいよ。 |
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エヴァはテンマのその返答に満足したのか、深く抱きつき再び唇を重ねた。 |
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どうする? |
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どうするって? |
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デート・・・・・・外に出かける? それとも・・・・・・このまま・・・・・・? |
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血圧、128/64。 |
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脳ベラ。 (看護婦:はい) マイクロ剪刀(せんとう)。 (看護婦:はい) これからピラミスを削るぞ。 |
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看護婦の状況報告とテンマの道具を要求するコール、そして手術モニターの心拍音だけが響く手術室。 素晴らしい手際で手術は進み、無事に終了した。 |
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いや――――相変わらず見事なオペだった。 上手いのはオペだけじゃないみたいだがね。 |
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は? |
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手術の腕は天下逸品。その若さでチーフの座にすわり、院長も外科部長も大のお気に入りだ。 |
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な・・・何が言いたいんですか、Dr.ベッカー? |
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いや、何も悪い意味で言ってるんじゃないさ。病院は政治の世界だからな。 上手に世渡りしていかなきゃ、いつまでたってもうだつがあがらない・・・それが病院ってもんだ。 院長の娘のハート、ガッチリつかんどけよ。 |
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え・・・! |
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隠したって無駄さ。みんなご存じだよ。 まったく、そっちのほうも腕がたけてるとはねえ。 |
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そ、そんな! |
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いや、ホント悪く言ってるんじゃないんだ。 君だって、院長にうまく利用されてるってことは分かってるんだろ? 君が成功させたオペを、さも自分がやったようにテレビで記者会見、だもんな。 そりゃ一流のオペラ歌手の命を救えば、病院の名もあがる。 君は院長のために、あのオペを絶対に成功させなきゃならなかったし、期待にこたえて無事成功させてのけた。 しかしな、ただ利用されてるばっかりじゃなく・・・・・・・・・・・・ そっちも徹底的に利用してやれってことさ。娘でもなんでも使ってな。 |
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・・・・・・。 |
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まっ、言われなくてもわかるか。利用されるってことは、実力があるってことだもんなあ。 俺なんか利用して欲しくても、実力がないもんなあ・・・・・・ 君が出世したら俺のこともよろしく頼むよ。今度一杯おごるからさ。ハハハ・・・ |
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言うだけ言ってさっさとどこかへ行くDr.ベッカー。その背中を見やりながら、テンマは嘆息する。 すると後ろから看護婦が声を掛けてきた。さっきの話を聞かれやしなかったかと心配したが、気を持ち直して振り返る。 |
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Dr.テンマ。ICU(集中治療室)のケストナーさんなんですけど、血圧が70まで下がっています。 |
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わかった。イノバンを3ガンマ上げてくれ。あと、ベンチレーターの酸素濃度を50%に上げて・・・・・・ |
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看護婦への指示をふと止め患者待合室のほうを見やると、見覚えのある女性と子供がじっとこちらを見ていた。 テンマは看護婦に先に行くように指示すると、女性のほうに向きなおった。 |
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あんた、Dr.テンマ? |
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はい、何か? ・・・・・・あなたたしか先日ケガで運び込まれたトルコ人の・・・・・・ |
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亭主を返してよ。 |
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・・・はい? |
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ウチの人を返してよ!! |
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あ・・・あの、病院としては全力を尽くし・・・・・・ |
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うそだ!! あの時ウチの人のほうが早くかつぎこまれたんだ!あんなオペラ歌手なんかより先に!! なのに後回しにしたんだ―――!!! |
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え・・・・・・ |
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あんた、この病院で一番腕の立つ医者だそうじゃないか!! なんで先に運びこまれたうちの亭主を、あんたが手術しなかったんだよ!! |
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トルコ人女性がテンマの胸倉をつかみ、壁に押し付けて一方的にまくしたてる。 この手の言いがかりのようなものは病院ではよくある話だが、テンマにはその女性の言葉に覚えがあった。 |
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あ・・・・・・あの時・・・・・・。あの夜たしかに僕はアパートで寝ているところを、ポケベルで呼び出され、 工事現場で事故にあったトルコ人のオペにあたるところだった・・・・・・ |
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そのために更衣室でオペ服に着替えていた時・・・外科部長が入ってきた。 |
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Dr.テンマ。君はこっちじゃない。大至急、第一手術室のほうに行ってくれ。 院長からのお達しだ。急いでくれ!! |
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あんたが手術すれば助かったんだ!! あんたがうちの亭主を、後回しにしたんだ!! あの人を返せ!!あの人を!! うわあああ!!! |
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号泣しながらテンマの胸をドンドンと叩き続けるトルコ人女性。その子供も泣きながら母親の足にしがみついている。 いつまでもなき続ける彼女に対して、テンマは何も言えなかった。 |
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・・・・・・でね、そのドレス、友達と奪い合いよ。あのサイズ、一着しかないんだもの。 でも安心して。あたしのモノにしたから・・・・・・ ちょっと、聞いてるの? |
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え? あ・・・ああ・・・・・・聞いてるよ。 |
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夜、こじゃれたレストランでテンマとエヴァが食事を取っている。 いつもの調子で自分のことをしゃべり続けるエヴァに対し、テンマは上の空であった。 |
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カルテを診たんだ・・・・・・。そのトルコ人のオペを執刀したのはDr.ベッカーだった。 |
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やだ、まだその話してるの? |
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直接の死因は脳ヘルニア・・・・・・しかし、明らかに治療開始に時間がかかりすぎている。 もっと迅速に開頭して、外減圧をすれば・・・・・・ |
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やめてよ、食事中にそんな話。 |
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Dr.ベッカーには悪いけど、僕が執刀していたら、あのトルコ人患者(クランケ)をなんとか助けることができたかもしれない。 しかし・・・・・・しかし、僕に対してあんなふうに言ったって一体どうしろっていうんだ。 僕はただ、院長の命令通りあのオペラ歌手のオペをしただけなんだ。 僕に責任はない・・・・・・ |
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そうよ。 |
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そうだろ? |
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当り前よ。 ”人の命は平等じゃないんだもの。” |
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え・・・・・・ (小声で)・・・・・・人の命は・・・・・・平等じゃない・・・・・・。 |
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自分の婚約者の口から出た思わぬ言葉に、テンマはつい先ほど聞いたトルコ人女性の涙ながらの叫びを思い出すのであった。 |