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浦沢直樹 |
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15分 |
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75 |
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深夜にさしかかろうかという遅い時間。術部用の強力なライトが、テンマを含む数名の医師を煌々と照らす。 医師たちが囲む患者は、前頭部から脳を拳銃で撃たれた少年であり、手術は緊張の連続であった。 |
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創部は汚染されているから、十二分に消毒してくれ。銃創を利用して皮切を行う。 脳腫脹が起きてくる前に迅速に挫滅脳の摘出をする。創傷清拭(デブリドマン)は十分に!! よし・・・銃弾摘出。 |
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な・・・なんという見事な腕。 あのむずかしい部位からの摘出をこともなげに。 中大脳動脈をかすめているんだ。私なら破裂させているかもしれない・・・・・・・・・ |
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安心するのはまだ早いですよ。破損した血管壁の補強が残っていますから。 |
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あ・・・はい。 8-0プロリン糸を!!血圧はいくら? |
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気を引き締め直したスタッフは再び手術を迅速に進めた。 それでも手術が終わるころには、外は既に明るくなり、小鳥がさえずる時間になっていた。 しばらくは眠り続けるであろう小さな患者(クランケ)の顔を見るテンマは、まだ手術着のままである。 少年はICUに移っていた。 |
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がんばって・・・・・・ がんばって生きるんだぞ・・・・・・ |
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テンマは、眠気のせいか緊張の糸が緩んだせいか、廊下の長イスに座ってぼーっとしていた。 そこに手術着を着た医師が声を掛けてくる。別室で市長のオペに当たっていた、Dr.ボイアーだ。外科部長もいる。 |
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どうやらそっちは成功したらしいな。 |
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はい、一応オペは・・・ そちらは? |
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市長は・・・死亡したよ! |
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っ!! そ、そうですか・・・・・・・・・ それは・・・・・・残念でした・・・・・・ |
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ふん、よくまあ他人事みたいに言えたもんだな。 オペの直前にチームから抜けるようなマネをしておいて・・・ |
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え・・・・・・ いや・・・しかし、あのコは市長より先に運びこまれていて・・・ |
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どっちが先かなんてこの際、関係ない。 問題は君が突然抜けた穴を、我々が必死に埋めなければならなかったということだ。 |
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そうだ。君はチームワークを乱したんだよ。 私は院長の命令通り、君に市長のオペを執刀するように指示した。しかし君は、それを無視した。 こんなことは前代未聞だよ。 外科手術というのは、スタッフ同士の信頼関係で成り立っている。今さらこんな基本的なことは言うまでもないがね。 なのに君はスタンドプレーをした。 少しばかり腕がいいと思って、おごりが過ぎるんじゃないかね、Dr.テンマ。 |
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そ・・・そんな!! |
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君の穴を必死に埋めようと、Dr.ボイアーは本当によくやってくれた。しかし、君の責任は重大だぞ。 院長にもすでに報告してある。当病院の権威を失墜させるような今回の件を、院長は非常に遺憾に思われている!! 覚悟しておきたまえ。 |
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あ・・・ あ・・・あの、待って・・・・・・ |
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捨て台詞のように言い残して、Dr.ボイアーと外科部長は去っていった。 無言で立ち尽くすテンマ。 背中から看護婦が、少年のバイタルサインが安定したことを告げてくる。 |
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そう・・・・・・ それはよかった・・・・・・ |
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本来喜ぶべきそのニュースに対して、ぎこちない笑顔を返すテンマの表情は曇りきっていた。 |
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デュッセルドルフ市内、テンマのアパート―――― 昼頃に部屋に戻ったテンマは、何をするでもなくニュースを見ていた。 |
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今日未明、静養先で倒れたローデッカー市長は、収容先のアイスラー記念病院で亡くなりました。 急な訃報を聞いた多くの市民が、市庁舎に花束などを持ってかけつけ、ありし日の市長をしのんでいます。 先ほど、市長が収容されていたアイスラー記念病院で会見がおこなわれました。 その模様をご覧ください。 |
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ローデッカー市長の死因は、内頸動脈閉塞による急性脳梗塞でした。 あらゆる治療を施しましたが、不可逆的なものでした。 我々も最善の努力をいたしましたが、高度の脳腫脹をきたし、残念な結果となってしまいました。 |
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なお、後継の体制などに関しての具体的な対応は、早急におこなうと市当局では述べています。 葬儀は今週末に・・・・・・ |
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は―――・・・ 眠らなくちゃ・・・・・・ |
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次のニュースです。 昨夜遅く市郊外で起きた、東ドイツ貿易局顧問のリーベルト夫妻殺害事件ですが・・・・・・ 警察の発表では、部屋を物色された形跡もあることから、物盗りの犯行か、あるいは亡命した夫婦に対する政治的なテロなどの可能性もあるとみて、捜査を続けています。 なお夫婦の双子のお子さんのうち、妹さんは無事でしたが、頭に銃弾を受けた兄のほうは・・・ |
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!! |
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銃弾の摘出手術は成功したものの、依然、意識はなく・・・・・・・・・・・・ |
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そうだったのか・・・・・・ 希望の国、西ドイツへ来たとたんに、そんな目に・・・。あのコはこれからどうするんだ・・・ はぁ・・・・・・ 僕もあの子と同じだな・・・・・・ |
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デュッセルドルフ・アイスラー記念病院―――― テンマは今日も変わらず病院に出勤していた。が、目の下にはクマができ、その行動もいつもの精彩さを欠くものであった。 そんなテンマに、Dr.ベッカーが声を掛けてきた。以前、病院内の権力社会について話したことがある相手だ。 |
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色々と大変だったみたいだねぇ。院長からのお裁きは下ったのかい? |
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Dr.ベッカー・・・ |
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だからあれほど言ったんだ。病院は政治の世界だ、うまくやれってな。 上手に世渡りしていけば、君はこの先順風満帆のはずだったのになあ。実際もったいないことをしたもんだよなあ。 まっ、これからは君も俺の仲間ってことになるんじゃないか。これはこれで楽なもんだぜ。 のしあがるだけが人生じゃない。楽しもうや、Dr.テンマ。医者って肩書きだけで女にもてるしな。 |
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・・・・・・ |
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まあそう落ち込むなって。今夜の院長主催の親睦パーティーで、なんとか名誉回復するチャンスはあるさ。 気晴らしにパ―――ッといこうぜ、パ―――ッと! |
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その夜。テンマの姿はハイネマン院長主催の親睦パーティーにあった。 鳴りやまない拍手の中でハイネマンがスピーチをしている。 |
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・・・・・・というように、アイスラー記念病院がわが国の医療機関をリードする地位を確立するに至ったのは、とりもなおさず・・・ 諸君のような優秀な人材に恵まれたためであると、心から感謝している。 一昨日、残念ながら当病院においてローデッカー市長が死亡したが、我々はいつものように全力を尽くした。 当病院に対する世間の評価になんら変わりはないのです。 市長の命を救うため、最後の最後まで尽力したDr.ボイアーに拍手を!! |
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スピーチが終わり、パーティーは歓談の場となっていた。ワイワイとにぎわう会場の端で、テンマはひとりワイングラスを傾けている。 すると、シンパの人間に声をかけてまわっていたハイネマン院長が、テンマの近くに来ているのに気づいた。 |
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い・・・院長! あ・・・あの、このたびは・・・・・・申し訳ありませんでした。 |
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まあまあ、もうすぎたことだ。 |
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院長・・・・・・ |
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君は君の思ったように行動した。それでいいじゃないか。 |
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院長・・・・・・ |
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ハイネマンのその反応に、テンマの顔はにわかに明るくなった。 と、そこでパーティー司会の言葉が入る。 |
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では次に・・・・・・ 脳神経外科のチーフから、一言あいさつを・・・・・・ |
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ちょっと失礼します、あいさつを・・・・・・ |
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君じゃないよ。 |
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・・・は? |
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この度、新しいチーフに就任されたDr.ボイアー!!どうぞお願いします。 |
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え!? |
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満場の拍手を受けて演壇にのぼるのは、脳神経外科チーフとして少年の手術を成功させたテンマではなく、担当した手術で市長を死なせたばかりのDr.ボイアーであった。 |
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院長!!こ・・・これは・・・ |
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病院(ここ)に残りたければ残りたまえ。 ただし、医者としての上を望むのはあきらめたほうがいい。君のように人格的に問題のある人間は無理だ。 君の腕は評価するが、それだけだ。もう学会で論文を発表したりすることもあきらめたまえ。 |
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!! |
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他の病院に移りたくても、私は紹介状を書くつもりはない。 もう野心を持ってもムダだということだ。君の思い描いていた医者への道は、閉ざされたと思いたまえ。 |
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あ・・・・・・ |
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オペはチームワークです。皆さん一人一人の力が集まってこそ、人の命が救えるのです! |
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演壇では、Dr.ボイアーがスピーチを始めていた。テンマは彼のスピーチを聞くことなく、パーティホールを出た。 すると、表にはちょうどタクシーが止まったところで、そこから出てきたのはエヴァ・ハイネマン。 テンマの婚約者であり、先のハイネマン院長の娘である。 |
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いけない、もうパーティー始まってるわ。 |
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エ、エヴァ! エヴァ、君からお父さんに言ってくれないか?僕は間違ったことはしていない。 僕はただ急患を、運びこまれた順番通りにオペしただけなんだ!! 僕は・・・・・・ |
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テンマがそう言うと、エヴァは無言でバッグの中を探り、手をテンマの顔の前に突き出した。 その親指と人差し指の間に挟まれているものは・・・指輪。 |
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あなたって本当にバカね。 |
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そうして二本の指が開かれる。指輪は地面を何度かバウンドした後、その動きを止めた。 |
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こ・・・婚約指輪・・・・・・・・・ エヴァ!! |
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夜風が吹きすさぶ外に立ち尽くすテンマに気を掛けてくれる人間は、誰もいなかった。 |
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パーティーを途中退場したテンマが向かった先は病院のICU、集中治療室の少年のところであった。 未だ意識のない少年に向かって、話しかけている。 |
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くっくっくっくっ・・・どうだい、とんだ笑い話だろう? 僕は日本から一人このドイツにやってきた。日本にいても、開業医の実家は兄貴が継いでしまっていて、僕はどこかの大学病院にもぐりこめればと思っていた・・・・・・ そんな時ハイネマン院長の論文に出会ってドイツに渡り、院長にここまで育ててもらったわけさ。 今となって思えば、あの時感銘を受けた論文も、僕がやっているように、どこかの誰かが院長のかわりに書いたものだろうけどね。 利用されてるのは分かっていたさ・・・・・・でも、それでそれなりの地位につけば、自分のやりたい研究を好きなだけできると思った。 |
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そう考えた時、以前ハイネマン院長が言った言葉、エヴァが言った言葉が、テンマの頭をよぎった。 |
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我々は人の命を救う以前に学究の徒・・・・・・そうだろ? |
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そうじゃない!!医者は人の命を救うのが第一だ!! |
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人の命は平等じゃないんだもの。 |
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ちがう!!命に上下なんかあるもんか!! 僕は間違ってなんかいない!!僕の人格に問題があるだと!? あんたは何だ!!医者どころか、ただの金の亡者じゃないか!! あんな奴死んだほうがマシだ!! ・・・・・・君のおかげだよ。 君が僕に医者としての目を開かせてくれた。 頑張って生きるんだぞ。僕はすべてを失ってまで君のオペをしたんだ。 そうまでして僕が君を生き返らせたんだからね。 |
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テンマは少年にそう言い残し、ICUを出た。 その直後、誰もいなくなったICUで少年の目がゆっくりと開いた。 今まで意識のなかったはずのその少年の目には、明らかに感情が宿っていた。 まるでテンマの話を、最初から全て聞いていたかのように。 |