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浦沢直樹 |
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10分 |
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73 |
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キャラクター紹介へ |
001 |
N |
建設途中のビルの二階。ユンケルスを追ってそこにきたテンマは、自らをヨハンとする少年と相対していた。 |
002 |
テンマ |
・・・ヨハン・・・・・・? |
003 |
N |
テンマの頭に、九年前の、妹に向けて涙を流しながら手を差しのべる少年の姿がよみがえる。 |
004 |
ヨハン |
そうだよ、あの双子だよ。おぼえていてくれたんだね。 |
005 |
テンマ |
・・・・・・。 |
006 |
ユンケルス |
先生、逃げろ!!奴の顔を見ちゃいけない!! こいつの顔を見たら先生も殺される〜〜〜〜!! |
007 |
テンマ |
!? な・・・何をするつもりだ?ユンケルスさんは私の患者だぞ。彼に何をするつもりだ!! |
008 |
ヨハン |
何って・・・・・・? |
009 |
テンマ |
!! |
010 |
N |
そう言ってヨハンは、懐から拳銃を取り出しユンケルスの頭に狙いを定める。 |
011 |
ヨハン |
処刑だよ。 |
012 |
ユンケルス |
ひ・・・・・・ひゃああああ!! |
013 |
テンマ |
な・・・なにをするんだ!? |
014 |
ユンケルス |
先生、逃げるんだ――――!! こいつは何人殺しても平気なんだ!!こいつに仲間を殺されたんだ―――!! |
015 |
テンマ |
な・・・・・・ |
016 |
ユンケルス |
俺達、こいつに雇われていたんだ!! いつもここから依頼の電話がかかってきた!! ひと仕事終わると高額の報酬が振り込まれて、仲間三人で山分けして・・・・・・・・・・・・ |
017 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 まさか・・・・・・四組の中年夫婦殺しの依頼人は・・・・・・・・・・・・君なのか? |
018 |
ヨハン |
くっくっくっ・・・・・・ |
019 |
ユンケルス |
俺が警察に目をつけられたから、こいつ、俺達が邪魔になったんだ!! ナイフ使いのフリッツも大男のボリスも、もうこいつに殺されてるんだ!! フリッツが死ぬ間際に俺に言ったんだ・・・・・・俺たちは・・・"モンスターに雇われてた"って。 |
020 |
テンマ |
モンスター・・・・・・ |
021 |
ユンケルス |
こいつは人を殺すことなんてなんとも思っちゃいないんだ!!逃げろ!!先生も殺される!! |
022 |
ヨハン |
くっくっ・・・おしゃべりだなあ、ユンケルスは。 おしゃべりは嫌いだな。 |
023 |
テンマ |
よ・・・よせ――――!!やめるんだ、ヨハン!! ユンケルスさんは君の正体を知らないようだが、私は知っている。私は君の主治医だったんだ。 |
024 |
ユンケルス |
え・・・・・・ |
025 |
テンマ |
君は、ヨハン・リーベルト、双子の兄妹の兄だ!! 1986年、東ドイツから壁を越え亡命してきた、元東ドイツ貿易局顧問、ミハエル・リーベルト氏の息子だ!! これだけ素性がわかっていたら、逃げのびることは不可能だぞ。だからもうこれ以上罪をかさねるな、ヨハン!! |
026 |
ヨハン |
く・・・・・・くっくっ・・・・・・ヨハンか・・・・・・・・・。 そういう名前の時もあったっけ。 |
027 |
テンマ |
え? |
028 |
ヨハン |
でも本当の名前じゃないよ。 |
029 |
テンマ |
ど・・・どういうことだ!? |
030 |
ヨハン |
僕の過去を知っちゃいけないんだ。あの四組の夫婦もリーベルト夫婦もね・・・・・・・・・・・・ |
031 |
テンマ |
どういう意味だ? |
032 |
ヨハン |
でも、先生は別だよ。 |
033 |
テンマ |
え? |
034 |
ヨハン |
先生は僕を助けてくれた。親みたいなものだもの。 |
035 |
N |
ヨハンは改めて拳銃を握りなおす。 |
036 |
ユンケルス |
ひ・・・!! |
037 |
テンマ |
やめろォ!!人を殺しちゃいけない!! |
038 |
ヨハン |
なぜ? |
039 |
テンマ |
なぜ・・・・・・だと? ひ・・・人の命をなんだと思っているんだ!!私は君の命を助けることで医者の本分に立ち返ることができたんだぞ!! 君を助けることで人の命の重さはすべて平等だって気づいたんだぞ!!誰も人の命を奪う権利なんかない!! 私は・・・何年間もそれを心に刻んで、医者として生きてきたんだぞ!! |
040 |
ヨハン |
く・・・くっくっくっ・・・・・・ |
041 |
テンマ |
何がおかしい!! |
042 |
N |
外ではポツポツと雨が降り始めた。 |
043 |
ヨハン |
先生、あのあとすぐに外科部長になったんだって? |
044 |
テンマ |
え? |
045 |
ヨハン |
本当によかったよ。先生が外科部長に昇進して。 |
046 |
テンマ |
何が言いたいんだ? |
047 |
ヨハン |
院長や外科部長やチーフが死んだから、今の先生があるんだろ? 本当によかったよ、せめてもの恩返しができて・・・・・・・・・ |
048 |
N |
テンマは硬直した。ヨハンが言わんとすることの輪郭が見えた。 |
049 |
テンマ |
まさか・・・・・・君が・・・・・・? |
050 |
ヨハン |
だって、先生が言ったんじゃない。先生が望んだんじゃない。 僕の意識が戻った時、先生は言ってたじゃない。あの人たちを殺したいほど憎んでたじゃない。 |
051 |
テンマ |
っ!! |
052 |
ヨハン |
先生の・・・望む通りにしてあげたんだよ。 |
053 |
N |
先ほどの小雨は、スコールのような大雨になっていた。 |
054 |
テンマ |
あ・・・あ・・・・・・ |
055 |
ユンケルス |
先生・・・・・・こわいよ、先生・・・・・・ 助けてよ、先生・・・・・・死にたくないよ!!先生!! |
056 |
N |
ヨハンは引き金を引いた。1回、2回、3回。 片手での射撃だったが、すべて、テンマが治療を施した頭部に正確に打ち込まれていた。 呆然と立ち尽くすテンマの横を、ヨハンが通り抜ける。すれ違いざま、 |
057 |
ヨハン |
僕はあの時、死んでいたはずだったんだ。先生が僕を生き返らせたんだよ。 |
058 |
N |
恐る恐るヨハンのほうを見ると、彼も柔和な笑顔をこちらに向けている。 テンマは何もできないまま、階段をおりていくヨハンを見送るしかなかった。 |
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059 |
N |
デュッセルドルフ警察署――――― 翌日、ユンケルス殺害現場の第一発見者となったテンマは、署内でルンゲを含む刑事二人に事情聴取を受けていた。 昨日の雨は勢いを緩めることなく降り続いている。 |
060 |
ルンゲ警部 |
まったくやな雨ですなあ。 雨は嫌いなんですよ。事件の証拠がすっかり洗い流されてしまいますからね。 あなたはどうです?ドクター・テンマ。 |
061 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
062 |
ルンゲ警部 |
ふ―――・・・・・・さてと・・・・・・ ・・・ということはですよ、あなたの言ったことをまとめると、こうだ・・・・・・ 1986年、東ドイツから亡命した政府高官・リーベルトの子供に双子の兄妹がいた。 亡命直後、リーベルト一家は銃撃を受け、両親は死亡、双子の兄は頭部に重傷を負った。 あなたはその少年のオペを執刀し、彼の一命をとりとめた。 しかし、その少年は驚いたことに・・・アイスラー記念病院の院長、外科部長、チーフの三人を毒入りのキャンディで殺害し、逃亡・・・・・ そして昨夜、彼はなんと、九年ぶりに姿を現し、州警察の警官をまたもや毒入りキャンディで殺害し・・・・・・あなたの目前でアドルフ・ユンケルスを射殺した。 彼こそ、四組の中年夫婦殺害を、ユンケルス他二名に依頼した張本人でもある・・・・・・ 彼の名は、ヨハン・リーベルト。 |
063 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
064 |
ルンゲ警部 |
・・・と、まあ、こういうわけですな? |
065 |
N |
テンマは下を向いてまったく喋らない。雨の音だけが部屋に響く。 |
066 |
ルンゲ警部 |
・・・ふむ。今日のところはお引きとりいただきましょう。 |
067 |
N |
テンマは、傘もささずに警察署を出ていった。その様子を窓から見ながら、刑事が話す。 |
068 |
刑事 |
まさか、Dr.テンマほどの地位のある医者があんな犯行を犯すとは思えませんものね。 警官の死亡時刻にはアリバイがあるし、手からも硝煙反応が出なかったんですから。 これで、四件の中年夫婦殺人事件を解決する糸口がなくなってしまいましたね。 とりあえず、ヨハン・リーベルトという奴をあたってみますか?ルンゲ警部・・・・・・ |
069 |
N |
しかしルンゲは、下を向いて歩くテンマを見下ろしたまま、ニヤリとしただけであった。 一方、テンマはアパートに向けて歩いていたが、署から少し離れたところまでくると次第に歩を緩め、止まった。 ずぶ濡れにもかかわらず、目にははっきりと涙が見て取れた。 |
070 |
テンマ |
う・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・ |
071 |
N |
自分の少年への発言が引き起こした殺人。それを悔いているのだろうか。 |
072 |
テンマ |
ああああああああああああああ!! |
073 |
N |
テンマの慟哭は雨の中にあって、ハイデルベルクの街にはっきりとこだました。 |