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浦沢直樹 |
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20分 |
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128 |
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キャラクター紹介へ |
001 |
N |
大きな講義室で数十人が法学の授業を受けている。講師は初老の男性、クローネッカー教授だ。 |
002 |
クローネッカー教授 |
さて諸君・・・・・・・・・この1968年のシュトゥットガルト事件における裁判官の判決の基準となったものは何かね? |
003 |
生徒たち |
・・・・・・・・・。 |
004 |
クローネッカー教授 |
おやおや、この静けさ・・・・・・この教室は東洋の禅寺かね。 "沈黙は金、雄弁は銀"ということわざを忠実に実行しているつもりかね? ・・・アイマー君、君の答えを聞きたいものだね。 |
005 |
N |
クローネッカーが一人の生徒を指名して答えを求める。 しかし、アイマーは苦笑いして頭を掻くだけであり、その口から答えは出ない。 |
006 |
クローネッカー教授 |
さあ、誰かこの沈黙を破るものはいないのかね? |
007 |
N |
その時、講義室の後ろの大扉が大きな音を立てて開いた。 生徒たちが驚いて振り返ると、そこには息を切らせ、うつむいて膝を押さえる若い女性がいた。 教授は驚いた様子もなく、淡々と喋る。 |
008 |
クローネッカー教授 |
ふん、遅刻常習犯のおでましだな。 今日はピザの宅配のアルバイトがことさら忙しかったようだな。・・・13分の遅刻だ。 |
009 |
N |
懐中時計を取り出し、そう告げる。 |
010 |
ニナ |
ハァ・・・ハァ・・・すみません、クローネッカー教授・・・・・・ |
011 |
クローネッカー教授 |
さて、君は前回の講義の最後に提示したシュトゥットガルト事件の判決の基準を述べる体力は残っているかね? |
012 |
ニナ |
え・・・・・・?ハァ・・・ハァ・・・あ・・・・・・はい。 そ・・・それは・・・・・・被告人は、誘拐そのものが狂言であり、被害者の死亡はあくまでも事故であると主張し、 裁判では、被害者に宛てた書簡の真偽が争点となりましたが、現場の状況を吟味した結果・・・・・・ 殺害については事故によるものであると認定されました。これは、殺人には故意がなければならないとの根拠からで、 無期懲役の求刑に対し、懲役15年の判決が下されたものと思われます。 |
013 |
N |
後ろを向いている全生徒が口を開けてぽかんとしている様は、壮観であった。 クローネッカー教授はニヤリと笑うと、まだうつむいて息を切らす女生徒に告げる。 |
014 |
クローネッカー教授 |
ふむ。けっこうだ。着席したまえ、ニナ・フォルトナー。 |
015 |
ニナ |
はい! |
016 |
N |
やっと顔を上げたニナは、笑顔でそう答えた。 |
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017 |
N |
ドイツ、ハイデルベルク大学――――― 授業を終えた、生徒たちが講義室から出てくる。ニナの姿はその一団の中にあった。 |
018 |
ペーター |
助かったよォ、ニナのおかげだよ!! |
019 |
N(法学部生徒) |
あれで誰も答えられなかったら、また鬼のクローネッカーの奴、50枚のレポート提出なんていいだすところだったね。 あ、50枚じゃすまないかも。 |
020 |
ペーター |
とにかく!大恩人のニナに何かごちそうしなくちゃ。今日はいいだろ、ニナ、俺と二人っきりで・・・・・・・・・ |
021 |
ニナ |
え? ごめーん、ペーター。今日はサークルのある日だから。 |
022 |
ペーター |
え? |
023 |
ニナ |
それじゃね! |
024 |
N(法学部生徒) |
ハハハ、またふられたね、ペーター。何回目? |
025 |
ペーター |
うるせ―――― あのニナを落とせる奴がいたらお目にかかりたいよ!! |
026 |
N |
30分後、ハイデルベルク大学、合気道道場――――― |
027 |
合気道部員 |
きええい!! |
028 |
ニナ |
はっ!! |
029 |
合気道部員 |
ぬおっ!!あ・・・はう!! |
030 |
N |
ズダン!という大きな音とともに、屈強な男子部員が地面に押し倒された。 腕が完全に極められていて、身動きひとつできない。 |
031 |
合気道部員 |
まっ!ままっ!まいったぁ!! |
032 |
ニナ |
ふぅ・・・。ありがとうございました。では、もう一本! |
033 |
合気道部員 |
ひ―――― 俺はもう休憩させてくれ!ニナ。 |
034 |
ニナ |
え―――― もう休憩ですかァ? |
035 |
N |
道場では、さきほど友人と別れたニナが男子部員相手に合気道の組み手をしていた。 |
036 |
スズモト先生 |
(拍手しながら)素晴らしいね――――!! いや、実に素晴らしいね、フォルトナー君。日本でも君ほど上達の早い人なかなかいないね。 |
037 |
ニナ |
ありがとうございます、スズモトセンセイ! |
038 |
スズモト先生 |
いえいえ、どーいたしまして。 |
039 |
N |
そういって二人は、揃ってお辞儀をする。 |
040 |
スズモト先生 |
ドイツの人、なかなかその礼がわからないね。 合気道は強さより礼を重んじるね、いいことね―――――!! |
041 |
ニナ |
でも、あたし強くなりたいんです、スズモトセンセイ。 センセイ、お相手してくださいませんか? |
042 |
スズモト先生 |
え、え?あ・・・いや〜〜〜〜〜。私とやるにはまだ早いよ、フォルトナー君。 だ・・・だれかァ!?フォルトナー君の相手をしたまえ!! |
043 |
ニナ |
誰かお願いしまーす! |
044 |
N |
そして、憐れな合気道部員男子がまた一人、ニナの牙にかかる。 スズモトは、離れた所でそれを見ながらひとりごちた。 |
045 |
スズモト先生 |
今のフォルトナー君、もしかして私、かなわないかもしれないね。 それにしても・・・・・・・・・ |
046 |
ニナ |
てやあ――――!! |
047 |
スズモト先生 |
明るくて元気で・・・・・・ホントにいい子ね〜〜〜〜。 |
048 |
ニナ |
ええい!! |
049 |
N |
その2時間後。ニナの姿は今度は路上のバイクにあった。 バイクの荷台にはLUCKY PIZZA(ラッキーピッツァ)のロゴシールがはってある。 |
050 |
ニナ |
たいへんだ―――!!配達遅れるとまた店長に大目玉だ―――!! |
051 |
N |
ニナが家に着いたのは、日もどっぷり暮れてからだった。 |
052 |
ニナ |
ただいま―――。おなかすいた―――!! |
053 |
ニナの母 |
もう、お隣に聞こえるわよ。年頃なのにみっともない、手洗ってらっしゃい。 |
054 |
ニナ |
は―――い。 あれ?ママ髪染めた? |
055 |
ニナの母 |
んふ。似合うでしょ? |
056 |
二ナの父 |
まったく、いい年してそんな金ピカに染めて・・・・・・みっともない。 |
057 |
ニナ |
そんなことないよ、パパ。素敵じゃない。 |
058 |
ニナの父 |
仮装行列じゃあるまいし。 |
059 |
ニナ |
ママがいつまでも若いっていいことじゃない。ただいま、パパ。 あ。そうそう、仮装行列っていえばさ、今日、子供達が仮装行列してたよ。 ピザの配達中に見かけたんだけどね。 |
060 |
ニナの父 |
ああ、聖ハドリアヌス祭の仮装行列だな。 |
061 |
ニナ |
私も子供の時ああいう仮装したかったなあ。すっごくかわいいんだもん! |
062 |
ニナの母 |
え・・・・・・ |
063 |
ニナの父 |
う・・・・・・ |
064 |
ニナの母 |
あ・・・ああ、か・・・仮装ならしたわよ、ね・・・ねえ、パパ・・・? |
065 |
ニナの父 |
お・・・おお、そうだ、そうだとも!! |
066 |
ニナ |
え――――? |
067 |
ニナの母 |
写真あるはずよ?ええと、このアルバムの・・・・・・この辺・・・・・・ あった、これよ、これ。 |
068 |
N |
ニナがアルバムを覗き込むと、そこには仮装した子供の写真があった。 しかし、ねずみの帽子を目深にかぶっていたために口元しか見えず、少年か少女かも分からないような写真である。 |
069 |
ニナ |
ほんとだ。 |
070 |
ニナの母 |
その時、あなたはしゃいで大騒ぎしてたのよ、ねえ、パパ? |
071 |
ニナの父 |
あ・・・ああ。 |
072 |
N |
ニナは晩御飯を終えて自室に入る。両親の出してきた写真に一応の納得はしたものの、釈然としていない様子だ。 |
073 |
ニナ |
う―――ん、仮装行列かァ・・・・・・ ん?誰かからメール来てる。どれどれ・・・ 「遠い春 永遠に来ない春を 待ちわびる私・・・・・・ハンナ」 こら、ハンナ、いい加減失恋から立ち直りなさい!! ・・・あ、また来た。 |
074 |
N |
ニナがモニタに向かって説教でもするかのように言ったまさにその時、新着メールが届いた。 |
075 |
ニナ |
「I shall send you the most beautiful flowers. I was born to smother you with flowers. (君に世界で一番美しい花を贈ろう。君を花で埋めつくすために僕は生まれた。)」 すっごーい!誰からだろ? ・・・ははーん。なかなかやるじゃない、ペーター!! |
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076 |
N |
明けて翌日。ニナは構内カウンセラーのガイテルの元にいた。 |
077 |
ガイテル先生 |
あれからどうだね?ニナ。 |
078 |
ニナ |
ええ、おかげさまで元気です、ガイテル先生。 |
079 |
ガイテル先生 |
そう、そりゃ良かった。 まあ、カウンセリングルームに君が入ってきた時の表情で、元気なのはわかったけどね。 |
080 |
ニナ |
大当たりです。さすが一流の心理カウンセラーですね。 |
081 |
ガイテル先生 |
ははは、一流かどうかはわからないけどね、一応これでメシを食ってるよ。 で?あの夢はもう見なくなった?―――闇の中から現れるモンスターの夢は。 |
082 |
ニナ |
ええ、サークルやアルバイトや勉強に大忙しで、夢見てる暇もないくらいグッスリ眠っちゃって・・・・・・ なんであんな夢に毎日うなされたんだろ。 |
083 |
ガイテル先生 |
う―――ん、まあ、学生の時期は誰でも不安定になるものさ。 将来に対する夢や不安がごちゃまぜになって、どうしたらいいのか途方に暮れる・・・・・・・・・ 自分が何者であるかわからなくなる。 まあ、自分が何者であるかなんて、一生かかってもわからないがね。 要は将来に向けてやれるだけのことをやるだけなんだ。 |
084 |
ニナ |
はい、あたしがんばってます!!絶対に連邦検察庁の検事になってみせます!! |
085 |
ガイテル先生 |
その調子だ。 |
086 |
ニナ |
それじゃ失礼します。 あ。先生も合気道やりませんか?いいですよ――――!! えい!! |
087 |
ガイテル先生 |
いや、何をやってもウチのワイフには勝てそうにもないからやめとくよ。 |
088 |
ニナ |
柔よく剛を制すって日本の教えがあるそうですよ。がんばって下さいね、先生! では、失礼します! |
089 |
ガイテル先生 |
ははは。 ふぅ。ニナ・フォルトナー・・・本当に明るい子だ・・・・・・・・・ だが、あの明るさは何かから逃げようとしている反動のような気がしてしかたない・・・・・・ 何か大きな闇から・・・・・・一体なんだろう・・・ それがわからないようじゃ、まだまだ一流のカウンセラーとはいえないな・・・・・・ |
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090 |
ペーター |
え? |
091 |
N |
カウンセリングを終えたニナは、食堂でペーターと共に食事をしていた。 |
092 |
ニナ |
え?じゃないわよ、とぼけちゃってペーター。 |
093 |
ペーター |
だからなんの話だよ、それ。 |
094 |
ニナ |
「君を花で埋めつくすために僕は生まれた」 まさかペーターにあんな文章をつくる才能があったなんて。 |
095 |
ペーター |
俺知らないよ、そんなの。逆立ちしたってそんな言葉俺から出てこないよ。 |
096 |
ニナ |
え・・・じゃあ誰? |
097 |
ペーター |
さあな!ちくしょう、また恋のライバルが増えたのか!! |
098 |
ニナ |
だって、あたしのパソコンのIDナンバー、友達にしか教えてないのよ?もう、一体誰なのかしら・・・ |
099 |
N |
その後ニナは午後の講義に出ていた。クローネッカー教授による法学の講義だ。 |
100 |
クローネッカー教授 |
ミュンヘンにおけるこの猟奇的殺人事件だが・・・・・・ この一家四人惨殺事件の被告人は犯行を否定しており、自白は検察によって強要されたものとしている。 犯人はまず両親を銃によって殺害したのち・・・・・・・・・二人の子供はヒモで絞殺している。 さて、この十数回にわたる公判の記録から、裁判官の判断を解説願おうか、フォルトナー君。 |
101 |
ニナ |
・・・え? |
102 |
クローネッカー教授 |
質問の内容がわからないかね? |
103 |
ニナ |
い・・・いえ、あの・・・・・・、・・・この公判の焦点は、被告人による一家惨殺の証拠が・・・・・・ 一家・・・惨殺・・・・・・。 |
104 |
クローネッカー教授 |
ん、どうかしたかね、フォルトナー君? |
105 |
ペーター |
へえ・・・ニナでも解答できない時があるのか・・・? ・・・・・・? |
106 |
ニナ |
(吐きそうな感じで)ウ・・・・・・ |
107 |
ペーター |
ニナ!! |
108 |
N |
ニナは、口を押さえて講義室を飛び出した。 ペーターも慌てて追いかけ、廊下でうずくまるニナをみとめると、背中をさすってやる。 |
109 |
ペーター |
大丈夫か?医務室行ったほうがいいよ。 |
110 |
ニナ |
だ・・・大丈夫。ちょっと気分が悪くなっただけだから。 |
111 |
ペーター |
何か悪いものでも食ったんじゃないか? |
112 |
ニナ |
ううん、今の先生の話で・・・・・・急に・・・・・・・・・ |
113 |
ペーター |
え?一家惨殺猟奇事件のこと・・・・・・ |
114 |
ニナ |
やめて。 |
115 |
ペーター |
なんだ、気の強い奴と思ってたけど案外デリケートなんだな。子供の頃よっぽどこわいホラー映画でも見たんじゃないのか? カウンセラーのガイテル先生ならきっとこういうぜ。 「原因をたどればたいしたことないものだよ。さあ、子供の頃のことを思い出してごらん。」ってな。 |
116 |
ニナ |
あたし・・・・・・記憶ないの・・・・・・ |
117 |
ペーター |
え? |
118 |
ニナ |
10歳以前の記憶がないの。 |
119 |
N |
その日ニナがフォルトナー家についたのは、いつもより早く夕方ごろだった。 |
120 |
ニナの母 |
あら、今日は早いわね。 |
121 |
ニナ |
うん、ちょっと気分悪いからアルバイト休んだ。 |
122 |
ニナの母 |
あらやだ。風邪でもひいたの? |
123 |
ニナ |
大丈夫。少し横になれば治ると思うから。 |
124 |
N |
心配する母をよそに、まっすぐ自室へ入る。 スクリーンセーバー状態のPCの画面を表示させると、崩れるようにベッドへ座りこんだ。 |
125 |
ニナ |
ふ――――。 あたしの記憶・・・・・・子供の頃の記憶・・・・・・ は――――。 |
126 |
N |
すると、昨日と同じようなタイミングでメールの新着アラートが表示される。 まるでニナの帰りを待っていたかのように。 |
127 |
ニナ |
また名前がない・・・ 「I will pick you up very soon. (もうすぐ迎えに行く)」 誰なの・・・・・・?もうすぐ迎えに行くって・・・・・・どういうことなの・・・・・・? |
128 |
N |
「一家惨殺」という言葉に過剰に反応した、自分の知らない10歳以前の記憶。 そして、内容が理解不能の差出人不明メール。 平和な日常に突如として沸き起こった謎に、ニナは戸惑うばかりであった。 |