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浦沢直樹 |
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20分 |
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145 |
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キャラクター紹介へ |
001 |
N |
ドイツ・ハノーバー――――― |
002 |
おばあさん |
男の子・・・・・・?ああ・・・いたわね、そういえば。 |
003 |
N |
喫茶店で、テンマと老女性が向かい合って座っている。 |
004 |
テンマ |
どんな子でしたか? |
005 |
おばあさん |
どんな子って言われてもねえ・・・・・・ ああ、その前にケーキ頼んでいいかしら? |
006 |
テンマ |
あ・・・はい、どうぞ。 |
007 |
おばあさん |
店員さーん。チョコレートケーキひとつ・・・・・・あ、あなたも召し上がる? |
008 |
テンマ |
いえ、私はけっこうです。 |
009 |
おばあさん |
食べればいいのに。ここのチョコレートケーキ、おいしいのよ。 それにあなた・・・ちゃんと食べているの?顔色悪いわよ? |
010 |
N |
そういわれて顔を上げたテンマは、大病院の外科部長の時とは比べるべくもない有様だった。 頬はこけ、髪は乱れており、ひげも何日も剃っていない様子で、無精ひげが目立つ。 |
011 |
おばあさん |
それにしてもひどいことするわよねえ。 シューマンご夫妻って、本当にいい方達だったのよォ。それがあんなむごい殺され方するなんて・・・・・・ ベルリンの壁が崩れても、ちっとも世の仲良くならないわ。やんなっちゃうわよ。 ところで・・・、あなた刑事?それとも探偵さん? |
012 |
テンマ |
いえ、私は・・・・・・そういうんじゃなくて・・・・・・ |
013 |
おばあさん |
とにかく早く犯人を捕まえてよ。四件の中年夫婦連続殺人事件を調査してるんでしょ? ケルン、ハンブルク、ミュンヘン、そしてこのハノーバー。 離れた四つの土地で起きた事件だけど、手口はいっしょ。同一犯のしわざに決まってるわ! |
014 |
テンマ |
ハハ・・・、お詳しいんですね。 |
015 |
おばあさん |
そうなの。あたし、この手のニュースに目がないの。テレビに釘づけよ。 |
016 |
テンマ |
あ・・・はァ・・・・・・。 ・・・・・・で、そのシューマン夫妻が子供を養っていたのは、いつ頃ですか? |
017 |
おばあさん |
ん――――、そうねえ、五、六年前じゃないかしら。 一年間ほど暮らしてたんじゃないかしら。親戚の子・・・だとか言ってたけど。 |
018 |
テンマ |
どんな子だったか覚えていませんか? |
019 |
おばあさん |
そうね―――なんだか、目立たない子だったわねえ〜〜。あらやだ、顔も思い出せないわ。 |
020 |
テンマ |
・・・・・・ハァ。 |
021 |
おばあさん |
なになに?その子が事件に関係あるの? |
022 |
テンマ |
い・・・いえ、そういうわけでは・・・ |
023 |
おばあさん |
教えてよ。あたし、推理小説の犯人当てるの得意なんだから。 |
024 |
テンマ |
あの・・・・・・。 その男の子は一人でしたか?妹がいっしょではありませんでしたか? |
025 |
おばあさん |
えっ・・・妹?いないいない。男の子一人よ。 |
026 |
テンマ |
・・・そうですか。ご協力ありがとうございました。では・・・ |
027 |
おばあさん |
あら、これだけでいいの?悪いわね、ケーキまでごちそうになったのに。 ふぅ。 それにしても陰気な男だったわね・・・。まったく・・・ |
028 |
N |
店を出たテンマはロングコートを羽織り、ハノーバーの街通りを黙々と歩いていた。 |
029 |
テンマM |
各地の人の証言によると、ケルンでもハンブルクでもこのハノーバーでも、殺された中年夫婦に養われていたのは、顔も思い出せないような、目立たない男の子一人・・・・・・ 九年前、私の病院からヨハンが・・・・・・いや、あいつが失踪した時、確かに奴は双子の妹を連れ出した。 では、あの妹は一体・・・どこへ行ってしまったんだ!? |
030 |
N |
ところ変わってミュンヘン――――― テンマは、今度は年の頃35くらいの女性に玄関先で話を聞いていた。 |
031 |
女性 |
子供・・・・・・? ああ、いたわ、思い出したわ。七、八年前よ。そうそう、思い出したわ。 |
032 |
テンマ |
殺されたハイナウ夫妻がその子を養っていたんですね?どんな子でしたか? |
033 |
女性 |
どんな子って・・・・・・・・・。ずいぶん前の話よ。 それも一年間ぐらいしかいっしょに暮らしてなかったんですもの。覚えていることなんて何もないわ。 |
034 |
テンマ |
その子は!妹を・・・連れていませんでしたか? |
035 |
女性 |
男の子一人よ。とにかく、もうあのご夫婦のことは忘れたいの。あの時は、引っ越そうかと思ったくらいなんだから。 じゃあ。 |
036 |
テンマ |
あ・・・・・・ |
037 |
N |
これ以上何も聞きたくないと言うかのように、玄関扉がかたく閉ざされる。 気を落として家から離れるテンマに、 |
038 |
老人 |
その子のことだったら知ってるよ。 |
039 |
テンマ |
!? |
040 |
N |
上から声が降ってきた。驚いたテンマが見上げると、窓から顔だけだした老人がじっとこちらを見ていた。 |
041 |
老人 |
上がりなさい。ちょうどお茶を入れたところだ。 |
042 |
N |
テンマは嬉々として階段を駆け上がる。部屋に入ると、老人は窓のほうを見たまま「おかけなさい」と言った。 |
043 |
テンマ |
あ、お邪魔します。あの、私・・・・・・こういう者ですが・・・・・・ |
044 |
N |
テンマはまず、お辞儀をして名刺を差し出す。しかし振り返った老人は、それを一瞥もせずにもう一回言った。 |
045 |
老人 |
おかけなさい。 |
046 |
N |
テンマが座ると、老人はテンマと自分の前にお茶を置いて、自分も腰をかけた。 部屋を見渡すと、壁一面の写真が目に付く。壁だけではない、サイドチェストの上まで写真たてで埋め尽くされている。 テンマにはその中で、海軍の制服を着た精悍な顔立ちの若い男の写真、そして潜水艦の上部デッキでの集合写真が目に付いた。 この老人の昔の姿だろうか。 写真に見入っているテンマに向かって、老人が口を開く。 |
047 |
老人 |
あんた医者だろ? |
048 |
テンマ |
っ!! |
049 |
N |
驚く。老人はテンマが差し出した名刺をチラリとも見ていないのに、なぜテンマのことがわかったのか。 |
050 |
テンマ |
な、何故? |
051 |
老人 |
あの子から聞いてるよ。あんたDr.テンマだろ? |
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052 |
N |
ドイツ・ハイデルベルク大学――――― 構内を学生三人が歩いている。ニナ・フォルトナーと、ニナと仲の良い女生徒、クララとベアーデだ。 |
053 |
ベアーデ |
ニナを迎えに来る? |
054 |
クララ |
誰が? |
055 |
ニナ |
それがわかんないの。パソコン通信に名無しでメールが送られてきたの。 |
056 |
ベアーデ |
うれしそうな顔して、まさか白い馬に乗った王子様が迎えに来るとか思ってんじゃないの? |
057 |
ニナ |
へへへ、うらやましい? |
058 |
クララ |
まーたニナの無想癖が始まった。こないだまではモンスターが襲ってくる夢にうなされてたっていうのに。 |
059 |
ニナ |
あれは夢!!でも、今度のは実際にパソコン通信で送られてきたの! 「君を花で埋めつくすために 僕は生まれてきた」ってね。 |
060 |
クララ |
いまどきそんな言葉使う男の子なんていないわよ。 |
061 |
ニナ |
いいじゃない、ちょっとぐらい夢見たってー。 |
062 |
クララ |
ほら、やっぱり無想癖だ! |
063 |
ベアーデ |
あ。 ねえねえ、そういえば最近講義に見慣れない顔の男の子いるじゃない。 |
064 |
クララ |
ああ。 |
065 |
ベアーデ |
12号教室のあそこの席に座ると、絶対に先生に指されるって"伝説の席"に、平然と座ってる奴!! |
066 |
クララ |
なのに、あいつ、先生に指されないのよね。 |
067 |
ベアーデ |
そうそう!!それであいつ、知ってる? ニナのことジ――ッと見つめてるのよ。 |
068 |
ニナ |
? |
069 |
ベアーデ |
絶対あいつだ!! |
070 |
ニナ |
何が? |
071 |
ベアーデ |
ニナにメール送ってる奴よ!! |
072 |
ニナ |
えー? |
073 |
クララ |
あ・・・すごくいい男かも・・・・・・ |
074 |
ベアーデ |
白馬に乗った王子様・・・当たらずとも遠からずって感じよね!! |
075 |
ニナ |
ちょ・・・ちょっと、あたし知らないよ、そんな人・・・・・・ |
076 |
ベアーデ |
まーかしといて!今度見つけたらあたし達が会えるようにセッティングしたげる!! |
077 |
ニナ |
ええ!?ま・・・待ってよ、クララ!ベアーデ!! |
078 |
クララ |
あたし達にまーかせなさいって!! |
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079 |
N |
戻って、テンマらのいるミュンヘン――――― |
080 |
老人 |
あの子が話していた通りの印象の方だ。Dr.テンマ・・・・・・ |
081 |
テンマ |
はあ・・・・・・ |
082 |
老人 |
あの子はあんたに、非常に感謝していたよ。あんたは命を救ってくれた・・・・・・ あんたは親以上の存在だとね。 |
083 |
テンマ |
・・・・・・・・・。彼はなんと名乗っていましたか? |
084 |
老人 |
フランツだ。しかし本当の名前ではないと言っていた。 |
085 |
テンマ |
そんなことまであなたに話すほど・・・・・・。それほどまでに、彼は心を許していたんですか。 |
086 |
老人 |
・・・・・・・・・。どこからともなく現れたフランツは、向かいのフラットに住む子供のいないハイナウ夫妻に拾われ、一年間養われた。 いや、正確に言うと1987年の3月から1988年の4月までの13ヶ月間だ。そして・・・、ある日突然姿を消した。 彼は非常に頭が良かった。礼儀も心得ていた。とても12歳の少年とは思えないほどにね。 |
087 |
テンマ |
彼はこの部屋に来ていたんですか? |
088 |
老人 |
ああ、毎日ね。一人暮らしの私はいつでも彼を迎え入れた。 そこのイスに座り、彼はひたすら勉強をし続け・・・、私の教える英語とフランス語をみるみるうちにマスターしていった。 姿を消す頃には、ほぼ完璧に二か国語をあやつれるようになったわけだ・・・・・・。たった12歳の子がね。 |
089 |
テンマ |
・・・・・・・・・。ほかに・・・何か彼のことで思い出すことは? |
090 |
老人 |
とにかく私の話すことに熱心に聞き入っていたよ。 彼が特に興味を示したのは、なんの話だと思うね? |
091 |
テンマ |
はあ。 |
092 |
老人 |
戦争中の話だよ。 |
093 |
テンマ |
戦争・・・・・・ |
094 |
老人 |
私は第二次大戦中、ドイツ海軍でUボート潜水艦に乗っていた。 ことさら何度も私に繰り返し話をさせたのは、我々の乗ったUボートが、連合軍の駆逐艦に攻撃された時の話だ。 水深120メートル、「海の魔物」といわれた連合軍のニールセン艦長に徹底的にマークされた我々は、致命的な損壊を受けながら潜航を続けた。 ミシミシと音をたてる艦内で、我々はひたすら恐怖に耐え、この世の地獄から生還したのは38時間後だった・・・。 普通の子供なら、冒険談としてこの話を楽しんだろう。しかし、彼は違った。彼が最も興味を示したのは・・・・・・ |
095 |
テンマ |
・・・それは? |
096 |
老人 |
究極の恐怖だよ。 死の淵に立った人間が、どんな反応をするのか?彼の興味はそれだけだった・・・。 彼は恐怖をもてあそんでいた。 |
097 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 彼は・・・・・・、彼はこのイスに座って、どんな表情でその話を・・・? |
098 |
老人 |
目を輝かせて、笑みを浮かべていただろう、おそらく・・・だが。 |
099 |
テンマ |
おそらく? |
100 |
老人 |
私は目が見えないからね。 |
101 |
テンマ |
え!? |
102 |
老人 |
私はあの子の本当の名前も知らなければ、顔も知らないというわけだ。 |
103 |
テンマ |
・・・・・・・・・ |
104 |
老人 |
あんたはさっきその子が私に心を許した、と言ったね・・・・・・ 彼は誰にも心を許したりしやしない・・・・・・あんただって、彼の何を知っているというんだ? あの子が本当に心を許したのはただ一人・・・・・・ 妹だけだ。 |
105 |
テンマ |
わ・・・私は、その妹を捜しているんです!! |
106 |
老人 |
あの子の養父母、ハイナウ夫妻が殺され、そしてドイツ国内で同じように三件の中年夫婦の殺人事件が起きたそうだな。 私は詳しい話しは知らない。ただ、君には全てを話しておかなければならないような気がしたんだ。 |
107 |
テンマ |
妹の居所を・・・知っているんですね!? |
108 |
老人 |
フランツは、20歳になったら迎えにいくと言っていたよ。 |
109 |
テンマ |
どこへ!? |
110 |
老人 |
ハイデルベルクだ。 |
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111 |
N |
再びハイデルベルク――――― 朝、ニナがフォルトナー家を出発しようとしているところだ。 |
112 |
ニナ |
行ってきま――す!! |
113 |
ニナの母 |
バイク、安全運転なさいよ? |
114 |
ニナ |
は――い!! |
115 |
N |
玄関を飛び出したニナは、庭木に水をやっている父にも声をかける。 |
116 |
ニナ |
パパ、行ってきま――す!! |
117 |
ニナの父 |
おっ、気をつけてな。 |
118 |
ニナ |
うわ――!今年もミモザ、きれいに咲いたね。 |
119 |
ニナの父 |
おお、私が手塩にかけて育てた樹だ!! |
120 |
ニナ |
ふふふ。手塩にかけて育てられた娘も見事に咲いてま――す!! |
121 |
ニナの父 |
ハッハッハ。変な虫がついたら、パパが殺虫剤かけてやる!! |
122 |
ニナ |
よろしくね―――!! |
123 |
N |
そういい残してニナは大学に向かった。見送るフォルトナー夫妻。 が、残された父と母の顔には、先ほどニナに見せた満面の笑顔はなかった。 |
124 |
ニナの父 |
・・・そろそろだな。 |
125 |
ニナの母 |
ええ・・・。でも! |
126 |
ニナの父 |
20歳になったら言おうと決めていたじゃないか。 あの子は私達の子じゃないって・・・・・・ |
127 |
N |
一方、ハイデルベルク大学のニナはそんなことは知る由もなく、いつものようにクララとベアーデとの三人で話をしていた。 どうやら、例の"白馬の王子様"についてのようだ。 |
128 |
ニナ |
ね・・・ねえちょっと!!困るよ、あたし!! |
129 |
ベアーデ |
何言ってんの。会いたがってたじゃない、ニナ!! |
130 |
クララ |
ちゃんとここで待ち合わせするように、話しつけといたんだから。 |
131 |
ベアーデ |
うまくやりなさいよ、白馬の王子様と!!じゃあね〜!! |
132 |
ニナ |
あ・・・クララ、ベアーデ!! もう・・・・・行っちゃった・・・。勝手なことするんだから―――。 は――あ・・・ |
133 |
N |
愚痴るニナを、会話を盗み聞きするつもりだろうか、クララとベアーデは近くの柱の影から見ていた。 |
134 |
ベアーデ |
あっ、見て!! |
135 |
クララ |
来た来た!! |
136 |
N |
一人の男がニナの前に進み出てきた。挨拶をしながら、右手を差し出す。 オットーと名乗ったその学生は、少し目が垂れているものの整った顔立ちをしている。 |
137 |
ニナ |
あ・・・どうも・・・・・・ |
138 |
N |
この人があのメールの送り主かと、少し頬を赤らめて相手の顔を見るニナ。 しかし次の瞬間、ニナの目は彼ではなくその肩越しに見えた金髪の美青年に、吸い寄せられるようにピントを合わせていた。 ポケットに手を入れ、目だけをこちらに向けているその青年と視線が交わる。 |
139 |
ニナ |
あっ!! |
140 |
ニナM |
誰!?・・・誰なの!? どこかで見たことある!!あなたは誰!? |
141 |
N |
ニナは、意識が薄まっていくのを感じた。 倒れる刹那、その美青年が背中を向けて去っていくのを見たニナは、完全に意識を失いその場に倒れた。 |
142 |
クララ |
え!? |
143 |
ベアーデ |
ニナ!! |
144 |
N |
覗いていたクララとベアーデも慌てて駆け寄る。 既に無い意識の中、ニナは心の中でもう一度叫んでいた。 |
145 |
ニナM |
・・・誰なの!? |