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浦沢直樹 |
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15分 |
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114 |
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キャラクター紹介へ |
001 |
テンマ |
この脳動静脈奇形には、何本も血管が入っている。流入動脈はすべて切離。 流出静脈を処理・・・・・・・・・ よし。ナイダス摘出完了。 |
002 |
N |
長くの間、双子の兄妹の足取りを追い続けていたテンマだったが、その本来の職―――医師の仕事に復帰していた。 |
003 |
N(医師) |
いや〜〜、見事なオペだった!! 長期休暇の後の久々の執刀だが、天才の腕は冴える一方だな!! |
004 |
テンマ |
(小声で)終わった・・・・・・ |
005 |
N(医師) |
は?何か言いましたか、Dr.テンマ。 |
006 |
テンマ |
いや・・・、なんでもない・・・・・・。 |
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007 |
N |
ある大きな屋敷――――― その一室のソファに、だらんと力なく横たわっている女性がいる。 テーブルの上には空いて転がったウィスキーのボトルがひとつ、ふたつ。 そしてその足元には、写真たてが。男女が仲良く寄り添っている写真だ。 男はケンゾー・テンマ。女は―――この屋敷の持ち主であり、テンマの元婚約者エヴァ・ハイネマン。 |
008 |
ロベルト |
あ・・・あの、困ります!! |
009 |
N |
誰も邪魔する者のなかったその空間が、にわかに騒がしくなる。 ドアの向こうで執事のロベルトと誰かが口論しているようだ。 |
010 |
ロベルト |
奥様は今お休みで・・・・・・ |
011 |
ルンゲ警部 |
お時間はとらせません。すぐに退散しますよ。 |
012 |
ロベルト |
し・・・しかし、アポイントメントをとられてからもう一度おいでください!! |
013 |
エヴァ |
う・・・うぅん・・・・・・。うるさいわね・・・・・・ |
014 |
ロベルト |
あ・・・奥さま、申し訳ございません、警察の方が・・・・・・ |
015 |
エヴァ |
・・・・・・警察・・・? |
016 |
N |
制止するロベルトを押しのけて、その口論の相手が部屋の中に入ってくる。 |
017 |
ルンゲ警部 |
お久しぶりです、エヴァ・ハイネマンさん。 |
018 |
エヴァ |
誰・・・・・・?あなた。 |
019 |
ルンゲ警部 |
九年前のお父さまの事件の際にはお世話になりました。BKAのルンゲです。 |
020 |
エヴァ |
ルンゲ・・・・・・ああ・・・・・・。さがっていいわよ、ロベルト。 |
021 |
ロベルト |
あ・・・そうでございますか・・・。では、失礼。 |
022 |
エヴァ |
で・・・・・・。"あの"事件もろくに解決できないヘボ刑事が、今さら私になんの用なの? |
023 |
ルンゲ警部 |
お父さまの死後も、この大邸宅をこうして維持されているとは、たいしたものですね。 いや、以前にもまして調度品など、豪華になったようだ。 |
024 |
エヴァ |
ふん。父の遺産と離婚の慰謝料で、あたしがどれほど儲けたか見にきたってわけ? ご覧の通りよ。何不自由ないわ。何かお気に入りのものがあったら、お持ち帰りになってよ。ハッハッハッ! ・・・私はお酒があればそれで十分。くっくっくっ・・・・・・ |
025 |
N |
ひとしきり笑うと、ウィスキーを一口あおる。 ルンゲはそんなエヴァの様子を見ていたが、対面のソファに腰掛けると、本題に入った。 |
026 |
ルンゲ警部 |
今日はちょっとお見せしたいものがありましてね。ええ・・・、このネクタイなんですがね。 |
027 |
エヴァ |
ネクタイ? |
028 |
ルンゲ警部 |
よく見てください。見覚えありませんか? |
029 |
エヴァ |
・・・・・・・・・ |
030 |
ルンゲ警部 |
覚えてらっしゃらないかもしれない・・・九年前の品ですからね。 シンプルな柄ですが、よく見ると織柄が非常に凝っていて、なかなかいい品ですよ。 |
031 |
N |
ルンゲがずいと前に押し出したそのネクタイは、紺の地に白のストライプのネクタイ。 エヴァはビニール袋に入ったそれをしばらく見つめていたが、興味を失ったように目を離す。 |
032 |
エヴァ |
それがどうしたの。 |
033 |
ルンゲ警部 |
いや、苦労しましたよ。何しろ、九年前の品です。 しかし、運よくこの商品は、その店の上得意の客に向けた限定生産品でしてね。 その店の顧客リストに、あなたの名前を見つけたんです。 |
034 |
エヴァ |
だから何だって言うのよ。 |
035 |
ルンゲ警部 |
あなた、これを買われて誰かにプレゼントなさいませんでしたか?ある殺人事件の重要なカギになるんですがね。 |
036 |
エヴァ |
殺人・・・ さあね。男にプレゼントなんて、山ほどしたからいちいち覚えてられない。 何しろあたしに言い寄ってくる男は、みんなあたしのお金が目当てですもの。 |
037 |
ルンゲ警部 |
よく思い出してください。 |
038 |
エヴァ |
知らないって言ってるでしょ。どいつもこいつも金目当て、あたしを心から愛する人間なんかいやしないわ。 だからねェ!!逆に慰謝料、山ほどふんだくってやったのよ!!三回ともね!!ざまあみろだわ!! あなたも何か欲しい?何か欲しいの?さあ言ってごらんなさい!!そのかわり高くつくわよ!! |
039 |
N |
大げさな身振りとともにまくしたてるエヴァだが、ルンゲは顔色ひとつ変えなかった。 |
040 |
ルンゲ警部 |
では、またうかがいます。何か思い出したらご連絡ください。 |
041 |
エヴァ |
ふっ。今度来る時は、お酒の一本も持ってらっしゃい。 |
042 |
N |
出て行くルンゲをその言葉で見送る。 ルンゲはふと、エヴァの足元の写真たてが気になったが、特に何も言うことなく出て行った。 静寂を取り戻したハイネマン家。エヴァはグラスの残りを飲みほすと、再びソファに横になる。 そしてふと、先ほどの写真たてを拾い上げると、懐かしむような目でいつまでも見つめているのだった。 |
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043 |
N |
デュッセルドルフ・アイスラー記念病院――――― 回診にあたるテンマの姿がある。 |
044 |
テンマ |
やあヘスさん、元気になりましたね。ふむ、顔色もいいし、これなら今週中にも退院できそうですよ。 |
045 |
ヘス |
ありがとうございます。Dr.テンマ。来月、娘の結婚式なんだが、出席できますかねえ。 |
046 |
テンマ |
ええ、大丈夫ですよ。でも、宴会でハメをはずさないようにしてくださいよ。 |
047 |
ヘス |
くぅ・・・・・・。ありがとう・・・・・・。あきらめていたんだが・・・・・・Dr.テンマのおかげだ・・・・・・ |
048 |
テンマ |
ヘスさんががんばったからですよ。 |
049 |
ヘス |
あんたがずっとついてくれたら、娘どころか、孫の結婚式までおがめそうだ。 あんた、本当に名医だ。ずっとこの病院にいてくださいよ。 |
050 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
051 |
N |
その時、看護婦がテンマに客の来訪を告げてきた。 訪問客がいるテラスへと向かうテンマ。彼を待っていたのはエヴァ・ハイネマンだった。 |
052 |
エヴァ |
久しぶりね、ケンゾー。 |
053 |
テンマ |
あ・・・ああ・・・・・・。 |
054 |
エヴァ |
少しやつれたんじゃない? |
055 |
テンマ |
いや・・・・・・。 |
056 |
エヴァ |
長期休暇をとってたそうね。 そうよ、たまには、そうやって体を休めなくちゃ・・・・・・。あなた、仕事の虫だもの。 |
057 |
テンマ |
君も・・・少しやせたんじゃないか? |
058 |
エヴァ |
いろいろあったから・・・・・・。噂で聞いてるでしょ? |
059 |
テンマ |
ああ・・・・・・。 |
060 |
エヴァ |
・・・・・・・・・。 |
061 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
062 |
エヴァ |
もう春ね・・・・・・。 覚えてる?十年前の春、二人でよくドライブに行ったじゃない。 若かったわね。この時期にあなた、川で泳ごうとしたのよ。あたし、あわてて止めて・・・・・・ |
063 |
テンマ |
エヴァ・・・・・・悪いんだけど、時間がないんだ。 |
064 |
エヴァ |
あ・・・ |
065 |
N |
テンマが席を立つ。 |
066 |
エヴァ |
や・・・やり直したいの! |
067 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
068 |
エヴァ |
三回目の結婚の失敗で初めてわかったの。 あたしのこと本当に愛してくれたのは、ケンゾー、あなただけだったって・・・・・・ |
069 |
テンマ |
・・・・・・・・・悪いんだけど・・・・・・ |
070 |
N |
テンマは背を向け、院内に戻っていく。 |
071 |
エヴァ |
ケンゾー! |
072 |
N |
おいすがるエヴァ。続いて建物内に入る。 |
073 |
エヴァ |
お願い、ケンゾー!! |
074 |
テンマ |
君の気持ちはうれしいけど・・・・・・、受けられないんだ・・・・・・。 それじゃ・・・・・・ |
075 |
エヴァ |
待って、ケンゾー!! あたし、黙ってたんだから!!警察が、あなたのネクタイのこと聞きに来たけど・・・・・・!! |
076 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
077 |
エヴァ |
あなた、あのネクタイで何かまずいことでもあるんじゃないの!? あのネクタイは、たしかにあたしがあなたにプレゼントしたものだわ!! あたしの言う通りにすれば黙っていてあげるわよ!! |
078 |
テンマ |
エヴァ。僕には・・・やらなきゃいけないことがあるんだ。 |
079 |
N |
エヴァはバッグのひもをきつく握り締め、ホールに入っていくテンマの背中を睨みつける。 |
080 |
エヴァ |
それなら全部言うわよ!!ネクタイのこと警察に話すわよ!! |
081 |
N |
並々ならぬ女性の覇気に、ホールにいた患者、医師、看護婦、皆が一斉に注目する。 |
082 |
エヴァ |
全部言ってやる!!九年前お父様達を殺したのも・・・・・・ 全部あなたの仕業だって!! |
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083 |
N |
デュッセルドルフ署――――― |
084 |
ルンゲ警部 |
なるほど・・・・・・。よし、重要参考人として、Dr.テンマを引っぱれ。 |
085 |
刑事 |
し・・・しかし、これではフォルトナー夫妻とマウラー殺しの証拠には不十分では・・・・・・? |
086 |
ルンゲ警部 |
私が今言っているのは、ハイデルベルク城での殺しの件だけだ。行け。 |
087 |
刑事 |
は・・・はい!! |
088 |
ルンゲ警部 |
いや、それにしてもよくご協力くださいました。これで一気に、たくさんの事件が解決するかもしれません。 ・・・エヴァ・ハイネマンさん。 |
089 |
N |
ルンゲの対面に座っていたのは、先ほどテンマと別れたばかりのエヴァだった。 同じ頃、デュッセルドルフ・アイスラー記念病院――――― |
090 |
院長 |
辞表・・・・・・? ふむ、どういうことだね、Dr.テンマ? |
091 |
テンマ |
勝手なことを言って、申し訳ありません、院長。 |
092 |
院長 |
君には最近いろいろ妙な噂があるようだが、あんなもの私はぜんぜん信じていないよ。もう一度考え直し・・・・・・ |
093 |
N |
説得する間もなく、テンマは院長室を後にする。 |
094 |
院長 |
あ・・・き、君!!Dr.テンマ!! |
095 |
N |
その時、院長室の電話が鳴る。 |
096 |
院長 |
く、くそ、こんな時に電話とは・・・!! はい、私だ・・・・・・え・・・・・・警察・・・? ・・・・・・・・・!! Dr.テンマが殺人容疑だと・・・!? |
097 |
N |
病院の正面玄関前には、何台ものパトカーがとまっていた。 ルンゲを陣頭に、数十人の警官が病院に踏み込む。 |
098 |
ルンゲ警部 |
各病棟の入り口をふさげ!!裏口も忘れるな!! |
099 |
刑事 |
はい!! |
100 |
ルンゲ警部 |
そこの看護婦、Dr.テンマはどこにいる!! ん?そっちはどうした、さっさと捜せ!!さがせ!! |
101 |
N |
それとまったく同時に、病院横手の救急搬送口より1台の救急車が走り出していた。 |
102 |
救急隊員 |
なんだかえらい騒ぎですね。パトカーが山ほど来てますよ・・・・・・、 Dr.テンマ。 |
103 |
テンマ |
そ・・・そうか・・・・・・。何があったんだろうね・・・・・・ |
104 |
N |
カーテンのかかった後部座席、寝台の横にはテンマがいた。 |
105 |
テンマ |
とにかく、駅の前で降ろしてくれ。 |
106 |
救急隊員 |
はい。あいかわらずお忙しいですね、Dr.テンマは。 |
107 |
N |
こうしてテンマは間一髪、警察の手を逃れた。 |
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108 |
N |
5か月後――― セミの鳴く季節を迎えたドイツのとある道路を、男二人を乗せたトラックが走っている。 |
109 |
運転手 |
今日も暑くなりそうだなァ。 それにしてもあんた、夏だってのに、そんなに着こんで暑くねえのかよ? |
110 |
N |
ランニングシャツ1枚といういでたちの運転手とは対照的に、同乗者の男はフードのついたブルゾンを着こんでいた。 |
111 |
運転手 |
まあいいか・・・・・・。 ん?なんだい?そりゃ、三日前の新聞じゃねえか。 今度はフェルデンで中年夫婦が殺られたってな。犯人は医者だってえじゃねえか。 そういえば、あんたもフェルデンへ行くって言ってたな。知り合いでもいるのかい? |
112 |
N |
男が持つ新聞には、大きな「殺人医師」という見出し。そしてその下にはテンマの顔写真が載せてある。 |
113 |
テンマ |
ああ・・・・・・。会えるかどうかわからないが・・・・・・・・・。 行かなくちゃならないんだ・・・・・・ |
114 |
N |
男が顔を上げる。同乗者はまさに新聞の男、ケンゾー・テンマその人であった。 それでもドライバーが気づかないのは、今のテンマが写真に見られる"清潔な紳士"という見た目とは大きく違っているからであろう。 髪も伸び、髭も何日も剃っていないという顔のテンマは、薄汚れたブルゾンの懐にある拳銃のグリップを、確かめるように握った。 |