|
|
浦沢直樹 |
|
|
15分 |
|
|
122 |
|
|
キャラクター紹介へ |
|
001 |
N |
ドイツ、キーセン警察署――――― 外では大雨が降っている。署の中ではルンゲが刑事と二人で男から話を聞いていた。 |
|
002 |
ルンゲ |
フランス外人部隊出身・・・・・・・・・・・・ フリーランスになった後、79年ニカラグアの戦闘に参戦・・・・・・ 81年から84年までアフガニスタンの反政府ゲリラに荷担・・・・・・ 87年、モサドのイスラム急進派暗殺の秘密作戦では中心的な役割を果たした・・・・・・・・・ なんとも輝かしい戦歴ですな。・・・ヒューゴー・ベルンハルトさん。 |
|
003 |
ヒューゴー |
・・・・・・・・・。 |
|
004 |
N |
老年にもかかわらず、筋骨たくましいヒューゴーと呼ばれた男は、背もたれに触れないほど背筋をのばし、そして腕を組んで、ルンゲの話を黙って聞いている。 |
|
005 |
ルンゲ |
あなたほどの傭兵が主催するセミナーなのですから・・・・・・よほど優秀な生徒さん達が卒業していくんでしょうな。 警察(ウチ)の若いモンも、ぜひあなたのレクチャーを受けさせて、鍛えなおしていただきたいもんですな。 |
|
006 |
N |
ルンゲが後ろで立っている若い刑事をチラリと見やって冗談を言う。しかし、ヒューゴーは顔色ひとつ変えなかった。 |
|
007 |
ルンゲ |
ちなみに、・・・この男は優秀でしたか? 五か月ほど前、あなたの訓練所に現れたはずですなんですがね。 |
|
008 |
N |
そう言ってルンゲが突き出したのは、テンマの写った写真である。 |
|
009 |
ルンゲ |
メスをにぎれば天才だが・・・・・・。銃をにぎってもその素養はありましたか? |
|
010 |
ヒューゴー |
教え子に関しては、話したくないんだがね。 |
|
011 |
ルンゲ |
なるほど・・・・・・ |
--- | ||
|
012 |
N |
5か月前――― 森に囲まれた小道をヒューゴーとテンマが歩いている。 |
|
013 |
ヒューゴー |
銃を習ったことは? |
|
014 |
テンマ |
いえ・・・・・・ |
|
015 |
ヒューゴー |
ふん、我流で撃ってたクチか。 |
|
016 |
テンマ |
いえ・・・・・・撃ったことがないんです。 |
|
017 |
ヒューゴー |
一度もか? |
|
018 |
テンマ |
はい。 無茶なお願いなのはわかっています。でも、あなたにお願いするしか・・・・・・ |
|
019 |
ヒューゴー |
ふん、どのみちウチに来たら、それまでの銃の経験は忘れてもらってる・・・・・・ だが・・・・・・・・・ |
|
020 |
テンマ |
だが・・・? |
|
021 |
ヒューゴー |
一度も撃ったことのない人間を預かるのはあんたが初めてだ。 |
|
022 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
|
023 |
N |
テンマは下を向く。しかしヒューゴーはそんなテンマに構おうとはせず、テンマにある物を渡す。 |
|
024 |
ヒューゴー |
縄とびだ。 経験があろうとなかろうと、ウチはこれから始める。 |
|
025 |
テンマ |
はい・・・。 |
|
026 |
ヒューゴー |
あのコのようにな。 |
|
027 |
N |
ヒューゴーが指をさした先には、軽快に縄とびをしている少女がいた。 一定のリズムで、顔色ひとつを変えずに跳び続けている。 |
|
028 |
ヒューゴー |
ボサッとするな!!早く始めろ!! |
|
029 |
テンマ |
!! は・・・はい!! |
|
030 |
ヒューゴー |
遅い。もっと速く!!・・・もっとだ!! |
|
031 |
テンマ |
は・・・はい! あっ・・・! |
|
032 |
N |
ヒューゴーに檄をとばされ、縄とびを開始するテンマ。 しかし、医者になってからこちら、まともな運動をしていないテンマはすぐに縄をひっかけてしまう。 |
|
033 |
ヒューゴー |
バランスだ!!バランス!! |
|
034 |
N |
テンマはチラリと少女の方を見ると、再び「訓練」に戻る。 |
|
035 |
ヒューゴー |
もっと速く!!・・・・・・速くだ!! |
|
036 |
N |
縄とびの風を切る音は、夕方になっても続いていた。 |
|
037 |
テンマ |
ハァ ハァ ハァ ハァ・・・・・・ |
|
038 |
N |
始めた時には着ていたパーカーも地面に脱ぎ捨てられ、テンマはその横に大の字になっている。 途中からヒューゴーの姿は無くなっていた。 |
|
039 |
少女 |
・・・・・・・・・。 |
|
040 |
テンマ |
ハァ ハァ ハァ・・・・・・。なかなか・・・君みたいにうまく・・・飛べないな・・・・・・ |
|
041 |
N |
テンマが少女に向かって話しかけるが、少女といえば、体操座りをしてこちらをじっと見たまま一言も喋らない。 |
|
042 |
テンマ |
わかったよ、そんなににらまなくてもやるよ。・・・私はやらなくちゃいけないんだ・・・・・・ |
|
043 |
N |
その時、二人のいる空を鳥が横切る。少女はふと、それを見上げる。 |
|
044 |
テンマ |
アトリだ・・・・・・ |
|
045 |
N |
少女がテンマのほうを見ると、テンマも空を仰いでいた。 |
|
046 |
テンマ |
ハハハ。ひな鳥のエサでも捜してるのかな? ・・・おっと、縄とび始めなくちゃね。 |
|
047 |
N |
夜――― ヒューゴー宅の食卓を囲むテンマ、ヒューゴー、少女。 特に会話もなく、食器にナイフ・フォークの当たる音だけが響いている。 ヒューゴーと少女は黙々と食事を続けているが、テンマはまだ手もつけていなかった。 |
|
048 |
ヒューゴー |
疲れきって、食欲もないか。 |
|
049 |
テンマ |
あ・・・はァ・・・・・・。 |
|
050 |
ヒューゴー |
食うのもトレーニングのうちだ。食え。 |
|
051 |
テンマ |
・・・はい。 |
|
052 |
N |
テンマがやっと口をつけたところで、早々に食べ終わった少女がリビングを出て行った。 |
|
053 |
テンマ |
お子さん・・・・・・いや、お孫さんですか? |
|
054 |
ヒューゴー |
いや。 あの子の母親は、俺が撃ち殺した。あの子の目の前でな。 |
|
055 |
テンマ |
え・・・・・・!! |
|
056 |
ヒューゴー |
ミャンマーでだ。ジャングルの掘っ立て小屋に逃げこんだらあの親子がいた。 母親は銃をかまえていた。一瞬遅かったら俺が撃ち殺されていた。 それで俺があの子を連れてきたってわけさ。 私と暮らして以来、あの子は一度も笑ったことがない。一生俺を恨んで生きるだろう。 |
|
057 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
|
058 |
ヒューゴー |
銃を持つとそういうことになる。それが嫌なら・・・・・・ 銃なんか持たないことだ。 |
|
059 |
N |
それが、テンマがこれから成そうとしていること。その言葉はテンマの心に深く響いた。 翌日――― テンマは相変わらず基礎体力訓練をしていた。足場の悪い山道を一心不乱に走る。 ふと横を見ると、少女が木の影からこちらを覗いていた。テンマは少しスピードをゆるめる。 |
|
060 |
テンマ |
ハァ ハァ ハァ ハァ・・・・・・。いい・・・においだな・・・! |
|
061 |
少女 |
!! |
|
062 |
N |
気づかれてないと思っていたのか、テンマがいきなり話しかけてきたことに驚く少女。 |
|
063 |
テンマ |
ジンチョウゲの香りだ。・・・・・・うわっ!!! |
|
064 |
N |
香りをかぐために上を見ながら走っていたテンマは、道を踏み外し、山の斜面を転がり落ちる。 |
|
065 |
テンマ |
つ・・・・・・・・・あたたたた・・・・・・ ん? |
|
066 |
N |
テンマは少し驚いた。少女が駆け寄ってきて手を差しのべてくれたのだ。 |
|
067 |
テンマ |
あ、ありがとう・・・・・・。 |
|
068 |
N |
表情も変わらず、口も開いてはくれなかったが、テンマにはうれしい出来事だった。 その日の夕方、テンマの姿はヒューゴーの家の裏手にある射撃場にあった。 |
|
069 |
ヒューゴー |
いいか、パンパン!!二回だ。 銃を撃つ時は必ず引き金を二回引け。二度ずつ撃つことで、とどめをさす確率は飛躍的に高くなる。 それができない時は・・・・・・、お前の命がないと思え。 |
|
070 |
N |
テンマは一通りの説明を受けると、拳銃の並んだテーブルの前につき、構える。 |
|
071 |
ヒューゴー |
いいな、二回だぞ。 |
|
072 |
テンマ |
はい!! |
|
073 |
N |
森に乾いた音が二度、響いた。 その日の夜。いつもと同じように、晩飯を取る三人であったが、食卓の様子がいつもと少し違った。 |
|
074 |
ヒューゴー |
なんだこれは? |
|
075 |
テンマ |
ああ。いつも食事を用意してもらってるんで、今日は僕が日本の料理を作ってみました。 肉じゃがっていうんですけど・・・、ハハ、気に入ってもらえるかどうか・・・ |
|
076 |
ヒューゴー |
・・・で、これは? |
|
077 |
テンマ |
ハシです。木を削って作ったんです。このほうが日本料理の感じが出ると思って・・・・・・ |
|
078 |
N |
少女は、テンマが説明し終わるか終わらないかのうちに、食べ始めた。器用にハシを使いこなしている。 |
|
079 |
テンマ |
うまいうまい。ハシの使い方上手だなァ! ん――。(声を抑えて笑う)プッ、クックッ・・・・・・クックックッ・・・! |
|
080 |
N |
こらえるような笑い声を上げて、テンマはヒューゴーを指差す。 少女がそれに気づき、その先に目をやると。 そこには、ジャガイモを拾っては落とし、拾っては落としして、なかなか口まで運べずにいるヒューゴーがいた。 |
|
081 |
ヒューゴー |
・・・く・・・くそ・・・・・・ |
|
082 |
テンマ |
クックックッ。 |
|
083 |
N |
テンマがいつまでも笑っていると、ヒューゴーがジロリと睨みつけてくる。 |
|
084 |
テンマ |
クックッ・・・おっと・・・・・・。 |
|
085 |
N |
今日も食卓は静かだった。 それからいくらか経ったある日も、テンマの朝は相変わらずの体力訓練にあてられていた。 スタミナもついてきたか、走る様にも幾分余裕が見られる。 |
|
086 |
テンマ |
ハァ ハァ ハァ ハァ・・・・・・・・・ん? |
|
087 |
N |
しばらく走った森の中で、少女がしゃがみこんでいるのを見つける。下を向いて何かしている様子だ。 |
|
088 |
テンマ |
どうした? ・・・・・・それは・・・、アトリのヒナだ。巣から落ちたんだな。 |
|
089 |
N |
少女の両手には、まだ生まれて間もないようなひな鳥がのせられていた。 少女は、そのひな鳥をどこかに連れて行こうと歩き出した。 |
|
090 |
テンマ |
あ!!だめだよ、巣に返さなくちゃ!! ・・・・・・死んじゃうぞそのコ!! |
|
091 |
N |
その言葉に驚き、歩みを止める少女。 |
|
092 |
テンマ |
巣から離して育てるのは大変なんだ。めったに育て上げることなんてできやしない。 さあ、巣に返そう。お母さんのところへ・・・・・・。なっ!! |
|
093 |
N |
少女は黙ってひな鳥をテンマに手渡し、テンマは木によじ登ってそれを巣に返す。 その様子を下から見ていた少女の顔は、笑顔はないものの、心なしか明るかった。 夕方、射撃練習場。 |
|
094 |
ヒューゴー |
三秒だ!!三秒間ですべてが決まる!!相手を認知し、引き金を引く!!一瞬でもミスや躊躇があれば・・・・・・ 撃ち殺されるのはおまえだ!! |
|
095 |
テンマ |
はいっ!! |
|
096 |
N |
銃口から2発ずつ打ち出される鉛玉は、マンターゲットの頭部を正確に貫いた。 |
|
097 |
ルンゲ |
・・・・・・で、その男はどんな成績で卒業していきましたか? この五か月間で・・・・・・。 |
|
098 |
ヒューゴー |
技術面では満点だ。基礎体力もついた。なんといっても集中力が抜群だ。 ただ・・・・・・ |
|
099 |
ルンゲ |
ただ・・・? |
|
100 |
ヒューゴー |
銃で人を撃つとなると別問題だ。 |
|
101 |
ルンゲ |
ほう。 |
|
102 |
ヒューゴー |
最初の奴が撃てるか撃てないか・・・・・・、それで道は分かれる。 銃を使えるか使えないかがね。 |
|
103 |
ルンゲ |
なるほど。彼は・・・どちらに進みますかね? |
|
104 |
ヒューゴー |
・・・・・・・・・。 |
|
105 |
ルンゲ |
まあ、それはいい・・・・・・。 ・・・・・・で、彼の行方を知りませんか? |
|
106 |
ヒューゴー |
・・・・・・・・・。 |
|
107 |
ルンゲ |
知っているなら教えていただきたいですねえ。 |
|
108 |
N |
テンマがヒューゴーに銃を習い始めてから5か月になる日、テンマは忽然と姿を消した。 1通の手紙と金の入った封筒を残して。 |
|
109 |
テンマ |
「5か月間お世話になりました。残りの受講料をお支払いします。 それと、肉じゃが食べてください。本当にありがとうございました。」 |
|
110 |
N |
食卓には肉じゃがと、木を削って作られたあのテンマ手製のハシが置かれている。 少女とヒューゴーはだまってそれを食べ始めた。 |
|
111 |
ヒューゴー |
ったく・・・、・・・ん・・・くそ!! |
|
112 |
N |
ヒューゴーが、相変わらずハシを上手に使いこなせずに悪態をつく。 その時だった。 ヒューゴーの家に笑い声が響いた。押し殺すような笑い声だったが、確かに。 |
|
113 |
ヒューゴー |
・・・・・・・・・。笑った・・・・・・ |
|
114 |
N |
ヒューゴーがはじめて見る、少女の笑顔だった。 |
|
115 |
ルンゲ |
・・・・・・で、どうなんです。彼の行方を知ってるんでしょ? |
|
116 |
ヒューゴー |
・・・・・・。それは言えない。 |
|
117 |
ルンゲ |
・・・・・・・・・。 |
|
118 |
ヒューゴー |
・・・・・・・・・。 |
|
119 |
ルンゲ |
・・・ふむ、けっこう。お引取りください。 |
|
120 |
N |
ヒューゴーが警察署の正面玄関を出る。外は大変な雨だ。 すると、玄関前で誰かがさしている大人用の大きな傘から、すっと手が伸びた。 ヒューゴーがその手をとる。傘の下からは少女の満面の笑顔が出てきた。 |
|
121 |
ヒューゴー |
(俺が奪ったはずの笑顔・・・。あのテンマが取り戻してくれたんだ・・・・・・) |
|
122 |
N |
テンマが笑顔を与えた人間がここにもまた一人。 ヒューゴーは少女に笑顔を返すと、手を握ったままひとつ傘の下、並んで帰って行くのだった。 |