|
浦沢直樹 |
|
15分 |
|
130 |
|
キャラクター紹介へ |
001 |
不動産屋 |
いやいやお客様、素晴らしい物件に目をつけられましたね。 なにしろここは、ベルリンの中心から車で20分と交通の便もよく、環境もいいですからねえ・・・・・・。 二か月前まで、あの家電メーカーのゲルラッハ社の営業部長さんが住んでらしたんですが、ちょうど引っ越されたところでして・・・・・・。 旧東側の物件で、これだけの出物はなかなかございません。 |
002 |
テンマ |
ここは、旧東ドイツ貿易局顧問のリーベルト氏の元住まいだと思うんですが・・・ |
003 |
不動産屋 |
えっ!? え・・・・・・ええ。くわしいことは存じませんが、当時の社会主義特権階級用の住宅ですから・・・・・・造りはしっかりしてます。 ささ、どうぞ! |
004 |
N |
ベルリン・旧東ドイツ側――――― テンマは不動産屋の案内で、立派な建物を見に来ていた。と言っても、もちろん買うためではない。 客だと勘違いしているであろう不動産屋に、素直に目的を伝える。 |
005 |
不動産屋 |
え?リーベルト氏のことを調べに来ただけ?なんだ!客じゃないのかよ。 |
006 |
テンマ |
すみません、どうしても知りたいことがあったもので・・・ |
007 |
不動産屋 |
10年前に亡命した役人のことなんか知らないよ。 |
008 |
テンマ |
リーベルト氏はこちらにいる時、双子の兄妹をひきとったはずなんです。 |
009 |
不動産屋 |
知らないっていってるでしょ。 |
010 |
テンマ |
この家の地主さんは・・・・・・?紹介してもらえませんか。 |
011 |
不動産屋 |
あのね、旧東ドイツの土地は、ほとんどがナチ時代に逃げ出したユダヤ人資産家のものなんだ・・・。 東の政府は外国や西側にいる資産家に、金を払って土地を借りてたわけ・・・ここの地主も外国にいるの。 それにわが社は壁崩壊後に進出した西側の不動産屋ですからね、古い話はなーんにも知らないの! |
012 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
013 |
不動産屋 |
さ―――。鍵、閉めますから早く出てください! |
014 |
テンマ |
誰か、10年前のことを・・・リーベルトさんを覚えてる人はいませんか? |
015 |
不動産屋 |
ふ―――、さっきも言ったけど、ここらは元政府高官の住宅地だからね。 壁が壊れたら、大体ちりぢりに逃げ出しちまって・・・・・・。特に、内務省の役人なんかやばくって・・・ ・・・・・・あ。 |
016 |
テンマ |
? |
017 |
不動産屋 |
そういえば十軒ほど先に、旧東ドイツ商務省の元役人が住んでるなァ。 |
018 |
N |
テンマは、不動産屋に聞いた元役人の家へ向かった。 |
019 |
元役人 |
あー、リーベルトさんね。危ない橋渡って亡命なんかしなくても、もう少し経てば東ドイツは自滅したのにねえ。 何のために自由の国に行ったんだかわからないよ、しかも殺されて・・・・・・ |
020 |
テンマ |
リーベルトさんには、双子の兄妹の子供がいませんでしたか!? |
021 |
元役人 |
双子の・・・兄妹・・・?う―――ん・・・・・・ ああ、思い出した!!リーベルトさんが、孤児院からひきとったあの双子・・・・・・!! |
022 |
テンマ |
孤児院!? |
023 |
元役人 |
かわいい子達だったよねえ・・・。リーベルトさん、ずっと子供をほしがってたしね。 |
024 |
テンマ |
そ・・・・・・その孤児院は!? |
025 |
元役人 |
ええとねえ、確か・・・・・・そう。511・・・・・・うん、そうだ、511キンダーハイムだと思うな。 |
026 |
N |
ベルリン郊外。廃墟といってもいいような建物の前。 窓はそのほとんどが割れ、壁にはいちめんのツタ、所々にスプレーの落書きがある。 テンマはその前で、黙ってそれを見上げていた。 |
027 |
老婆 |
もうすぐこの孤児院の跡地も、スーパーマーケットになるらしいよ。 |
028 |
テンマ |
? |
029 |
老婆 |
やっと、気味の悪い建物が取り壊されて・・・せいせいするよ。 |
030 |
テンマ |
あの・・・ちょっとよろしいですか? この孤児院の関係者の方、知りませんか? |
031 |
老婆 |
関係者・・・・・・?そんなもん、残ってるわけないだろ!? |
032 |
テンマ |
え? |
033 |
老婆 |
ここのことは話したくもないね、あ〜〜うす気味悪い! |
034 |
テンマ |
あ・・・おばあさん・・・・・・ |
035 |
老婆 |
どうしても、話を聞きたいってんなら・・・、47番地に、元厚生省のハルトマンって男がいるよ。 そいつにでも聞いてみるんだね。じゃ・・・ |
--- | ||
036 |
N |
テンマは、その足でハルトマンのところへ向かうことにした。 老婆に教えられたとおり47番地に来たテンマは、正確な場所を知るため、たまたま通りかかった少年に声をかける。 |
037 |
テンマ |
ボク、この辺にハルトマンって人住んでないかな? |
038 |
ディーター |
・・・・・・・・・。 |
039 |
N |
しかしその少年は、テンマのほうを一瞥しただけで、無視して通り過ぎていく。 テンマはそこで、少年が右腕から血を流しているのに気付いた。 |
040 |
テンマ |
? どうした・・・!?ケガしてるじゃないか。見せてごらん。 これは・・・治りかけたのに、同じとこをまたケガしたな、化膿してる。 |
041 |
N |
テンマは、自分のかばんから消毒液とガーゼ、包帯を取り出すと、手際よく処置をする。 |
042 |
ディーター |
うっ・・・・・・つっ! |
043 |
テンマ |
がまんしろ。ちょっとしみるが、これでよくなる。・・・よし、オッケー。 |
044 |
N |
テンマがにこやかに告げる。 少年は、テンマの顔を少しの間じっと見たかと思うと、何も言わずに走り去っていった。 |
045 |
テンマ |
あぁ・・・・・・。ハハハ、ころぶなよ、またケガするぞ――!! |
046 |
N |
アテのないテンマが、しばらく47番地を歩いていると、アパートの集合表札にハルトマンという名を見つけた。 ブザーを押すと、60歳程度の男が出てきて、テンマは居間に通された。 居間の壁には、10歳前後の様々な少年の写真が10枚ほどはってある。 テンマがそれを眺めていると、ハルトマンが茶を入れて戻ってきた。 |
047 |
ハルトマン |
その子達はみな、東ドイツ崩壊後私が里親としてひきとっていたんです。 |
048 |
テンマ |
里親・・・・・・? |
049 |
ハルトマン |
ええ、養子縁組や身の振り方が決まるまで私が預かっていた子達でね。 その真ん中の写真の子なんかは、服飾メーカーの社長の養子としてむかえられました。左端の子は今、軍隊に入ってます。 今も一人預かってるんですよ。 |
050 |
テンマ |
へえ・・・。大変なお仕事ですね。 |
051 |
ハルトマン |
仕事というかなんというか・・・・・・ 長年、厚生省の地区担当として孤児関係の仕事をしてまして、当時から政府のやり方には反対でしてね。 社会主義が崩壊してから、私なりのやり方で子供達の力になれないものかと・・・ |
052 |
テンマ |
なるほど。 |
053 |
ハルトマン |
貧乏なもんで、思った通りにはいきませんが・・・しかし、彼らも以前の孤児院にいるよりはずっとマシです。 |
054 |
テンマ |
・・・・・・・・・? |
055 |
ハルトマン |
511キンダーハイムは、厚生省と内務省共同管轄の特別孤児院でした。 まあ、旧東ドイツの孤児院は多かれ少なかれあんなもんでしたが・・・ その中でも、特別孤児院はひどかった。単に身寄りのない子供達の施設ではありません・・・・・・ 刑事犯の子供と、亡命しようとして捕らえられた政治犯の子供、親が内乱罪やスパイ罪に問われた子供達の集まりだったのです・・・・・・。 だから、差別も非人間的な扱いも当然でした・・・・・・。子供たちは何をされても仕方ない立場だった・・・・・。 あそこは社会主義、全体主義の矛盾そのものだったのです。 政府は、スローガンでは孤児たちを、社会主義の模範になるよう再教育すると言いながら、実際には犯罪者扱い・・・・・・。 おまけに院長や教官は最悪。特にひどい奴は、子供に届く小包を没収して転売までしてしまう・・・。 まったくどっちが犯罪者だか・・・。 特別孤児院を支配していたのは、恐怖と暴力だったんです・・・・・・・・・。あそこではとても、まともな人間は育たない。 そして、あの事件が起きた。 |
056 |
テンマ |
事件・・・・・・?その孤児院で、何が起きたんです? |
057 |
ハルトマン |
あなた、あの双子のことを私に聞きたいとおっしゃいましたね。 |
058 |
テンマ |
!! 何かご存知なんですね?二人のことを・・・・・・ |
059 |
ハルトマン |
妹の方は、別の地区の孤児院に預けられましたからよくは知りません。しかし、兄のヨハンのことはよく知っています。 |
060 |
テンマ |
ヨハン・・・・・・。そうです!ヨハンのことが聞きたいんです!! |
061 |
N |
ハルトマンがしばし無言になる。見ると、小刻みに震えていた。 |
062 |
ハルトマン |
あ・・・あれは、最高極秘事項でした。東ドイツ政府は徹底した箝口令(かんこうれい)をしいたんです。 |
063 |
テンマ |
え? |
064 |
ハルトマン |
今となっては過ぎ去ったことだし・・・・・・、事件について、話してもかまわんと思うが・・・・・・ |
065 |
テンマ |
なんですか!?事件て・・・・・・? |
066 |
ハルトマン |
あ・・・ああ・・・・・・。 |
067 |
テンマ |
ヨハンが・・・・・・、ヨハンが何をしたんですか? |
068 |
ハルトマン |
・・・革命ですよ。 |
069 |
テンマ |
革命・・・・・・? |
070 |
N |
そのとき、玄関の扉が開いた。 |
071 |
ディーター |
ただいま。 |
072 |
ハルトマン |
ディーター、お客様だ。ちゃんとごあいさつしなさい。 |
073 |
テンマ |
あ! |
074 |
ディーター |
あ・・・!! |
075 |
N |
ディーターと呼ばれた少年は、テンマを見て驚いた声をあげる。 |
076 |
ハルトマン |
ディーター、なんだ、その態度は!?ちゃんとごあいさつしないか!! |
077 |
テンマ |
い・・・いや!! 実はもう・・・・・・、家の近くで会ってるんです。な!! |
078 |
N |
ディーターこそ、さっきテンマが治療を施した少年だったのだ。 |
079 |
テンマ |
あの・・・それで今の話の続きなんですが・・・・・・ |
080 |
ハルトマン |
いや・・・・・・子供の前では勘弁してください。 |
081 |
テンマ |
あ・・・・・・そうですね。時間も時間ですので、また改めて・・・ |
082 |
N |
と、玄関に向けて身を返したテンマの袖を、ディーターが引っぱった。 |
083 |
ハルトマン |
ディ、ディーター!!・・・・・・ふう。しかたのない子だ。 ごいっしょに、食事でもいかがですか? |
084 |
テンマ |
は・・・・・・はァ。 |
085 |
N |
結局、テンマは夕食をお世話になることになった。 テンマは改めて自己紹介を済ませ、三人の食卓についた。 |
086 |
ハルトマン |
テンマさん、フリーランスのジャーナリストということは・・・、こうやって調べたことを、記事にされるわけですね・・・・・・? |
087 |
テンマ |
え・・・・・・ええ、まあ・・・・・・。 |
088 |
ハルトマン |
それじゃあこの点だけは、しっかり書いておいてほしいですね。 子供の成長は、全て育てる大人にかかっている。我々が子供を、正しい方向へ導かなければいけない! そうしてはじめて、子供は素晴らしい夢を見ることができる。 |
089 |
テンマ |
夢・・・か・・・・・・ ディーターはどんな夢を持ってる? |
090 |
ディーター |
(小さく)・・・サッカーボール・・・・・・ |
091 |
テンマ |
え? |
092 |
ディーター |
サッカーボールがほしい!! |
093 |
テンマ |
そうかァ。 |
094 |
N |
笑顔で答えるテンマ。 楽しい時間はあっという間に過ぎ、食事を終えたテンマは玄関で、最後の挨拶をしていた。 |
095 |
テンマ |
ごちそうさまでした。もう一度、ぜひお話の続きを・・・ |
096 |
ハルトマン |
いやあ・・・・・・話が話だけに中断してしまって・・・ |
097 |
テンマ |
またうかがいます。明日にでも連絡します。では・・・。 |
098 |
N |
ハルトマンがにこやかにテンマを送り出すと、玄関扉を閉める。 |
099 |
ハルトマン |
ディーター・・・ |
100 |
ディーター |
・・・・・・・・・。 |
101 |
N |
振り返ったハルトマンの顔は、先ほどまでの笑顔とは対照的に、まるで感情を失っていた。 壁際にはりつくディーターにゆっくりと詰め寄る。そして・・・・・・ |
--- | ||
102 |
N |
20分後――― テンマの姿は再び、ハルトマンのアパート前にあった。 手に、ネットに入った立派なサッカーボールを吊り下げている。 |
103 |
テンマM |
(まだスポーツショップが開いててよかった・・・。サッカーボールもいいのがあったし・・・) |
104 |
テンマ |
フフフ・・・・・・。ディーターの奴、喜ぶかな・・・? |
105 |
N |
意気揚々とノックをする。 |
106 |
テンマ |
ハルトマンさん!テンマです!ハルトマンさ――ん! |
107 |
ディーター |
アアアア―――――ッ!! |
108 |
N |
その時、凄まじい悲鳴が中から聞こえてきた。 |
109 |
テンマ |
!! ハルトマンさん!!どうしたんですか!?ハルトマンさん!!入りますよハルトマンさ・・・・・・! |
110 |
N |
テンマが扉を開けると、部屋の真ん中でディーターが左肩を押さえながら倒れていた。 そばではハルトマンが、どうしていいものかといったふうにオロオロしている。 |
111 |
ハルトマン |
テ・・・・・・テンマさん!! |
112 |
テンマ |
どうしたんですか!? |
113 |
ハルトマン |
落ちたんです。椅子の上にふざけて乗っていて・・・、ああ・・・ディーター!! |
114 |
ディーター |
うう・・・痛い・・・・・・痛いよ、痛いよー!! |
115 |
テンマ |
どこが痛むんだ、ディーター? |
116 |
ディーター |
痛いよォ・・・・・・ |
117 |
テンマ |
ハルトマンさん、救急車を!! |
118 |
ハルトマン |
あ・・・・・・ああ・・・ |
119 |
テンマ |
ほらディーター、見せてごらん。・・・・・・・・・!? |
120 |
N |
そう言ってディーターのシャツをまくりあげたテンマは驚愕した。 ディーターの体には、できたばかりの赤い傷、青いあざ、何度も皮が再生した時特有の白くなった部分など、大量の創傷があったのだ。 |
121 |
テンマ |
な・・・なんだ・・・・・・、このたくさんの傷跡は・・・・・・!! ディーター。ここかい?ここが痛むのかい? |
122 |
ディーター |
アアアアア!! |
123 |
テンマ |
これは・・・。肋骨が二本折れて・・・・・・、それに左肩を脱臼している。 椅子から落ちただけで、どうやってこんなケガを・・・ |
124 |
N |
テンマが容態を一通り見終えたところに、ハルトマンが戻ってきた。 先ほどの取り乱しぶりとはうってかわって、冷静になっている。 |
125 |
ハルトマン |
救急車はじきに来るそうです。だからもう大丈夫です。 |
126 |
テンマ |
は・・・・・・はァ・・・ しかし、この無数の傷は一体・・・・・・! |
127 |
ハルトマン |
大丈夫と言ったでしょ?だからもうおひきとりを。 ・・・それよりあなた、その傷の触り方・・・・・・まるで、医者みたいですね。 |
128 |
テンマ |
あ・・・いや・・・・・・ |
129 |
ハルトマン |
テンマ・・・・・・。どこかで聞いたことのある名だと思った。あなた医者ですね。 あの、人殺しで手配中の・・・・・・!! |
130 |
N |
ハルトマンはあの、感情のない冷ややかな視線をテンマに送ってきた。 テンマはハルトマンをにらみ返しながら、自分が次にとるべき行動を静かに考えるのだった。 |