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浦沢直樹 |
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20分 |
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163 |
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キャラクター紹介へ |
001 |
署長 |
ハインツ!本当に、この手配書の男・・・ケンゾー・テンマだったのか!? |
002 |
ハインツ |
ええ、Dr.チャンとか名乗ってましたけど、間違いなくこの男です!! ボーザー村のミールケのレストランにいたんです!! |
003 |
署長 |
よおし!まだ遠くへは行っていないかもしれん、国道に非常線だ!! |
004 |
N |
ドイツ、シュタットイルム警察署――――― 署内はにわかに活気づいていた。新米刑事ハインツが、管轄内でドイツ全域に指名手配が出ている殺人犯を見かけたというのだ。 |
005 |
署長 |
これでもし、こいつを逮捕できたら、お手柄だぞ、ハインツ!! |
006 |
ハインツ |
は・・・・・・はい! |
007 |
署長 |
全員、緊急配備だ!!急げェ!! |
008 |
ハインツ |
やった・・・・・・、やったぞ!!うまくいけば昇進だ、ざまあみろ!! 町へ出てから5年たつっていうのに、あいかわらずド田舎への巡回・・・・・。でも、もうそんな仕事とはおさらば! |
009 |
N |
ハインツは小さくガッツポーズをしていた。 と、そこへ最後までオフィスに残っていた先輩警官から声がかかった。 |
010 |
同僚警官 |
おいハインツ、電話だ。 |
011 |
ハインツ |
え?あ・・・・・・はい、どうも。 |
012 |
同僚警官 |
聞いただろ、出動なんだ!さっさとしろよ? |
013 |
ハインツ |
はいはい・・・・・・。・・・・・・へっ、先輩ヅラしてられるのも今のうちだ。 |
014 |
同僚警官 |
ん?何か言ったか? |
015 |
ハインツ |
あ・・・・・・いや、 はい、ハインツです・・・・・・。あ―――どうも、診療所の看護婦さん。 え・・・・・・!!お袋がまた倒れた!? |
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016 |
N |
診療所には、シューマンとテンマによって、ペトラが運び込まれていた。 大病院の整った環境があっても難しい、致死率が50%とも言われるSAH―――クモ膜下出血。 テンマたちはその大手術を、町医者の設備で敢行しようとしていた。 |
017 |
シューマン |
こんな田舎の診療所に、CTなんかあるわけがない。あるのはレントゲンだけだ。 それに、脳外科手術に必要な道具はほとんどないんだ! くそっ!!最初の発作の直後、私が無理やりにでもクルップにある国立病院で、検査を受けさせていれば・・・・・・ しかし・・・・・・今となっては・・・・・・ |
018 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
019 |
シューマン |
あんただけが頼りなんだ、Dr.テンマ!! |
020 |
N |
読影室に入ったテンマたちは、レントゲン写真に目を凝らす。 |
021 |
テンマ |
・・・やはり、中大脳動脈分岐部の動脈瘤ですね。 |
022 |
シューマン |
くそっ・・・ここには手術用顕微鏡もクラニオトームもない・・・・・・ |
023 |
テンマ |
脳動脈瘤クリップさえあれば、直視下でやってみます。 |
024 |
シューマン |
しかしいくらあんたでも、難しいだろう。 |
025 |
テンマ |
やってみるしかないでしょう。今度、脳動脈瘤が破裂したら、命はないかもしれません。 |
026 |
シューマン |
・・・私のせいで、またこんなことに・・・・・・! |
027 |
テンマ |
どうしたんです、Dr.シューマン。この村の患者を、一手にひき受けていたあなたらしくないですよ・・・・・・! |
028 |
シューマン |
・・・・・・・・・。 |
029 |
テンマ |
過去に何があったか知りませんが、目の前の患者に最善を尽くす・・・・・・。医者にできるのはそれだけです。 |
030 |
シューマン |
・・・ああ・・・・・・。 |
031 |
看護婦 |
ドクター、準備できました。お願いします。 |
032 |
テンマ |
よし!!はじめましょう!! |
033 |
シューマン |
あ・・・ああ。 |
034 |
N |
二人は手術用キャップの紐を固く締めた。 その頃、診療所の表には警察車両が一台止まっていた。 ボールを蹴って遊んでいたディーターに声をかけたのは、看護婦の電話を受けてやってきたハインツである。 |
035 |
ハインツ |
おい、小僧、Dr.シューマンは中か? |
036 |
ディーター |
うん、手術してるよ。 |
037 |
ハインツ |
!! じゃ・・・手術って、お袋の手術か?町の病院に運ばないで、こんな診療所で!? |
038 |
ディーター |
大丈夫だよ、テンマがいるもん。 |
039 |
ハインツ |
テ・・・・・・!テンマだとォ!? |
040 |
N |
オペ室では、ペトラの頭皮の切開が始まっていた。 大病院でならスタッフが10人近くつく大手術であるが、ここにいるのはテンマとシューマンに加え看護婦の3人だけである。 |
041 |
テンマ |
頭蓋骨を開頭する。・・・血圧と脈拍は? |
042 |
看護婦 |
は・・・はい、血圧126/84、脈拍88です。 |
043 |
テンマ |
Dr.シューマン、頭をよく押さえておいてください。 |
044 |
シューマン |
あ・・・・・・ああ。 |
045 |
テンマ |
僕も・・・、こんなに道具がない状態で、オペをしたことはありません。 でも、昔はこんなふうにやっていたんでしょうけど・・・・・・。 |
046 |
シューマンM |
(す・・・すごい!頭蓋開頭器(クラニオトーム)もないのに・・・・・・。線鋸だけで、こんなに素早く開頭してしまった・・・・・・) |
047 |
N |
内科が専門のシューマンにでもわかるほど、テンマの手際は鮮やかだった。 そしてテンマが硬膜に触れようとしたその時、手術室にある男が侵入してきた。 |
048 |
シューマン |
ハインツ!!なんで、おまえが・・・・・・! |
049 |
看護婦 |
あ・・・・・・、私が電話をして・・・ |
050 |
シューマン |
!! |
051 |
N |
入ってきた男ハインツは、ホルスターから拳銃を取り出した。 |
052 |
ハインツ |
何をやってるんだお前たちは!? |
053 |
シューマン |
見ての通り、おまえの母親の手術だ!! そっちこそ、その銃はなんのマネだ!?出て行け、ハインツ!! |
054 |
ハインツ |
手を上げろ、テンマ!! |
055 |
N |
銃口は真っ直ぐにテンマに向けられている。 テンマはチラリとそちらを見たが、手を止めることなく脳の切開を開始した。 |
056 |
シューマン |
何を言ってるんだ。母親を殺す気か、ハインツ!! |
057 |
ハインツ |
そいつこそ殺す気だ!!そのテンマってのは・・・・・・、殺人容疑で逃げ回ってる男だからな!! |
058 |
シューマン |
な・・・・・・!? |
059 |
看護婦 |
えっ・・・! |
060 |
テンマ |
・・・・・・・・・。 |
061 |
ハインツ |
ハイデルベルクで男を一人殺してる。その他、連続中年夫婦殺人の容疑もかかってる! ま・・・まさか、おまえをここで見つけられるとはな!仲間はみんな、おまえを追って非常線をはってる! せっかくの俺の手柄も、お袋が倒れてオジャンかと思ったが・・・・・・、ヘヘ、さすがお袋、俺にチャンスをくれたってわけだ! さあ、とっとと手を上げろ!!さもなきゃ撃つ・・・・・・!! |
062 |
シューマン |
出てうせろ!! |
063 |
ハインツ |
!! |
064 |
シューマン |
ここは滅菌状態の手術室だ!おまえは菌を持ちこんでいる!! 感染すれば、おまえの母親は髄膜炎にかかり、命取りになるぞ!! |
065 |
ハインツ |
そ・・・・・・それなら、早く手術を中止しろ!! |
066 |
シューマン |
・・・おまえ、お袋さんを本当に死なせる気か? |
067 |
ハインツ |
ど・・・どういうことだ。 |
068 |
シューマン |
おまえの母親は、SAH・・・・・・いわゆるクモ膜下出血だ。 最初に倒れたのが三日前・・・・・・。72時間以内に処置しなければ手遅れだ。 |
069 |
ハインツ |
・・・・・・・・・。 |
070 |
シューマン |
さあ、出て行け!! |
071 |
ハインツ |
ひ・・・・・・ 人質をとったつもりか!!そうか・・・、俺のお袋を人質にとって、ここを逃げようって腹だな!! |
072 |
シューマン |
な・・・・・・! |
073 |
テンマ |
脳動脈瘤クリップと、鉗子を。 |
074 |
看護婦 |
・・・・・・え? |
075 |
テンマ |
脳動脈瘤クリップと、鉗子を!!早く!! |
076 |
看護婦 |
は・・・・・・はい! |
077 |
ハインツ |
おい!!そ・・・それは俺のお袋だ!!お袋に手を出す奴は、許さない!! |
078 |
シューマン |
そうだ、ペトラはおまえのお袋さんだ。 だがおまえは、この五年間、お袋に何をしてやった? 町に出てから五年の間、おまえはお袋に会ったことがあるのか? ここまで育てあげてもらった後、おまえはおふくろさんに何をしてやった? いいか、大事な人は、いつかいなくなるんだ。 お袋の作ったグラシュの味を覚えているか? 今でもペトラは、習慣でおまえの分も作っちまうんだ。余った分は私がいただいている。あれはうまい!あの味は絶品だ! Dr.テンマはおまえのお袋さんを助けようと、必死に戦っている。 またあのグラシュが食べたければ・・・・・・ |
079 |
ハインツ |
う!! |
080 |
N |
シューマンはハインツのネクタイを掴むと、ドアに押し付ける。 |
081 |
シューマン |
おとなしく出て行け!! |
082 |
ハインツ |
うわっ!! |
083 |
N |
そして、ドアを開くとそのまま床へと叩きつけた。 |
084 |
ハインツ |
く・・・・・・この! |
085 |
ディーター |
な?テンマがいるから、大丈夫だろ。 |
086 |
ハインツ |
っ!!・・・・・・・・・。くそ・・・・・・ |
087 |
N |
いつの間にか院内に戻っていたディーターにそう言われたハインツは、ひとつ悪態をついて、自分の母親の血がついたネクタイをじっと見つめた。 |
--- | ||
088 |
N |
そして夜――― |
089 |
看護婦 |
血圧、140/86、脈拍は82です。 |
090 |
シューマン |
ふむ。バイタルサインは順調だな。 |
091 |
看護婦 |
そうですね。 |
092 |
N |
昼頃に始まった緊急手術は終わり、術部である頭にネットをかぶせられたペトラを皆が見守っていた。 |
093 |
シューマン |
ピオニールさんは、少し休んだほうがいい。 |
094 |
看護婦 |
でも、先生方は・・・・・・ |
095 |
シューマン |
私は大丈夫だ、休みたまえ。術看、ご苦労様。 |
096 |
看護婦 |
はい、それじゃ・・・ |
097 |
シューマン |
Dr.テンマも眠ってくれ。 |
098 |
テンマ |
いえ、私も大丈夫です。 |
099 |
シューマン |
何を言ってるんだ。あんな困難なオペを3時間もぶっ続けでやりとげたんだぞ!! |
100 |
テンマ |
念には念を入れないと・・・。元気になったペトラさんに、Dr.シューマンがプロポーズできるように・・・・・・ |
101 |
シューマン |
な・・・・・・! |
102 |
ハインツ |
おい、プロポーズってどういうことだ? |
103 |
N |
病室にはもう一人男がいた。はっきりと誰かに向けているわけでもないが、まだ銃を持っている。 |
104 |
シューマン |
な・・・なんだ、ハインツ、おまえ、眠ってたんじゃないのか!? |
105 |
ハインツ |
眠るもんか、テンマを連行するまではな!! それより、プロポーズってどういう意味だ。まさかドクター、おふくろを・・・ |
106 |
シューマン |
バ・・・バカ言うな!! |
107 |
N |
シューマンは、二人に習ってパイプ椅子に腰をおろした。 |
108 |
シューマン |
バカを言うな。 俺は・・・・・・、人にプロポーズできるような人間じゃない。 大学病院時代の俺は、患者と話すことなんか二の次だった。 病院内でいかに自分の地位をかためるか・・・、院長の派閥にとり入り、院長のかわりに論文を書き・・・・・・、ついには、院長の娘と結婚までこぎつけた。 |
109 |
テンマ |
それは・・・・・・。 |
110 |
テンマM |
(それは・・・、昔の私の姿だ・・・・・・。) |
111 |
シューマン |
その後も、出世街道を邁進さ。妻のことなんか、目もくれなかった。 ・・・・・・そう、ちゃんと妻の顔を見ていれば、気がつくはずだった。本当の医者なら・・・・・・。 妻は微熱が続き、疲れやすく、長い間、風邪に似た症状に悩まされていた。ちゃんと見ていれば、気づいたはずだ。 気づいた時にはひどい肝硬変で・・・・・・、最後は肝不全だった・・・。 彼女は息をひきとる時、私にこう言ったんだ・・・・・・。 |
112 |
妻 |
(微笑みながら)やっと・・・・・・私を見てくれたのね・・・・・・ |
113 |
シューマン |
・・・・・・・・・。私には、人を愛す資格なんかないんだよ。 |
114 |
ハインツ |
・・・・・・・・・。 |
115 |
テンマ |
そんなことないです。あなたは、ちゃんと見てた。この村の人達を、ちゃんと見てた。 あなたが見ていたから、ペトラさんは助かったんだ。 |
--- | ||
116 |
N |
夜が明けた。 テンマはいつの間にか、壁にもたせかかるようにして眠っていた。 シューマンは、その休息する戦士に白衣をかけてやりながら、ハインツのほうを見る。 |
117 |
シューマン |
・・・どうだ、この男をまだ連行する気か? |
118 |
ハインツ |
・・・・・・・・・。 |
119 |
シューマン |
おまえの母親の命を、必死になって救ったこの男を、まだ殺人犯だと思うのか? |
120 |
N |
ハインツは改めて眠っているテンマを見た。 そしてひとしきり眺めると、黙って病室を出て行った。 |
121 |
シューマン |
ハインツ!! |
122 |
N |
シューマンはあわててその後を追う。 果たしてハインツの向かった先は、院内の据え置き電話のところであった。 |
123 |
ハインツ |
もしもし、ハインツです。部長をおねがいします・・・・・・ |
124 |
シューマン |
ハ・・・ハインツ!! |
125 |
ハインツ |
部長、すみませんでした。私の人違いでした。非常線を解いてください。 |
126 |
シューマン |
!! |
127 |
ハインツ |
私の見たのはテンマではなく、Dr.チャンという男でした。東洋人なので、見間違えてしまいました。 ・・・はい、すみません。・・・・・・申し訳ありません。・・・・・・すみませんでした・・・・・・ |
128 |
N |
そこに、出世意欲をむき出しにした男の姿はなかった。 |
--- | ||
129 |
N |
病院近くの空き地にヘリのローター音が響く。ペトラは都会の大病院へと搬送されたのだ。 Dr.シューマン、手術にあたった看護婦、駆けつけた人々がそれを見送る。 |
130 |
看護婦 |
国立病院のドクター、目を丸くして驚いてましたね。 |
131 |
シューマン |
ああ、こんな田舎の診療所で、あれほど見事な治療を見せられるとは思わなかっただろうよ。 |
132 |
N |
シューマンの顔にも笑みが浮かぶ。 と、そこへ村の男があわてたように走りよってきた。 |
133 |
男 |
ドクター!!あの若い医者、行かせちまうのか? |
134 |
シューマン |
ん? |
135 |
男 |
いやぁ、今日はうまいものでも食わそうかと思ってたのによ、荷物持ってガキといっしょに出て行ったぜ。 |
136 |
シューマン |
何!?どっち行った!! |
137 |
男 |
しゅ、 州道の方だ。 |
138 |
N |
シューマンは走った。そしてやっと、州道の峠手前あたりで、並んで歩くテンマたちの背中をとらえた。 |
139 |
シューマン |
テンマ―――!! 行くな、この村はもう安全だ!!ハァ ハァ・・・・・・逃げる必要はない!! |
140 |
テンマ |
ド・・・Dr.シューマン!! |
141 |
シューマン |
ふう―――。ディーター、こっちにおいで。おまえもここが気にいったろ。 |
142 |
テンマ |
そうか・・・。ディーターには、この村はいいかもしれませんね。 |
143 |
シューマン |
ディーターだけじゃない。あんたもこの村なら、警察から守ってやれる。 私といっしょにここの人達を診てやってくれ。この村には、あんたが必要だ。 |
144 |
テンマ |
・・・・・・でも、私は行かなくちゃならないんです。 |
145 |
ディーター |
テンマ、僕も一緒に行くよ!! |
146 |
シューマン |
ま・・・待て、ディーター!! なぜだ!?なぜ、警察に追われる危険まで冒していこうとするんだ!! |
147 |
テンマ |
・・・ディーターのこと、よろしくお願いします。 |
148 |
ディーター |
テンマ!! |
149 |
シューマン |
待て、テンマ!! あんたがいれば、ここら一帯の何人もの人の命が救えるんだ。ここで私といっしょにやっていこう!! |
150 |
テンマ |
・・・何人もの命を救う・・・・・・。 |
151 |
シューマン |
ん? |
152 |
テンマ |
私は・・・・・・、ある男を殺さなくちゃならないんです。 |
153 |
シューマン |
な・・・・・・なんだって・・・・・・? |
154 |
N |
テンマは身を翻し、2人を置いて歩き始める。 |
155 |
シューマン |
テンマ―――!!どういうことだ、テンマ!! あんたにそんなこと、できるわけがない!!人の命を、あんなに必死で救おうとするあんたに!! ・・・テンマ!! |
156 |
ディーター |
行っちゃうよ・・・・・・ |
157 |
シューマン |
!! |
158 |
ディーター |
テンマは、どんなことしても行っちゃうよ・・・ |
159 |
シューマン |
・・・・・・・・・。 行け、ディーター。 |
160 |
ディーター |
え? |
161 |
シューマン |
おまえがいっしょなら、テンマは道を踏みはずさない。テンマのことを、よく見ているんだぞ。 ・・・行け!! |
162 |
ディーター |
う・・・・・・うん! |
163 |
N |
ディーターはテンマの横まで走っていくと、再び並んで歩き始めた。 その様子を後ろから眺めるシューマン。 ふと空を見上げると、その空はどこまでも淀んだねずみ色であった。 |